Migdal

元記事: 意味論「絶対境界説」

たたむ
 
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A.I.

前半の穴の話はメトニミー、後半の円の話はプロトタイプに近いかもしれませんね。認知言語学ではこれらを言語使用の基盤となる重要なメカニズムとみなしています。

「限定的な言語」の議論は少し難しいような気がします。それは認識する現実との兼ね合いになるので、どうしても主観というか、普遍的な議論にならないと思います。シャレイア語であれば作者も話者も「この言語はまだ我々の知る現実の一部の知識を表せないことがある」ということを了承していると思いますが、たとえばアマゾンの奥地にいる民族が電気に関係する言葉を全く持たないとして、彼らの生活に電気を活用する機会が全くない場合、それは果たして不完全なのか。逆に、我々の社会からそこに誰かが行ったとして、現地人なら誰でも知っている重要な動植物、建築様式、人間関係などを表す言葉を訪問者が全く持たないと知って、現地人が我々の言語を「不完全な言語」と思うのは正しいのか、というような問題がいくらでも出てきそうです。

たたむ
 
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あづまにゃん@SCJ

結局、完成した言語なんて存在しない、といふのはこの不足した単語の観点からも曖昧性からも明らかであり、多くの一般的な会話が成立、それは、知らないことは基本的に一般的な会話には含まれない(知らない程話題に出されない)のだから、やはり、ある程度の線で分けるべきでせう。

未完成は語弊があるかもしれません。新興や発展途上など、終りがないといふ意味で国の様に分けるべきな気もしますね。

言語である基準に、造語力や外来語のと取り入れの力なども考慮すべきかもしれません。