「イーンス語」は私 carbon13の作成している人工言語のひとつで、設定的には架空世界創作「万穹世界」のセナスラートという地域にあるイーンス国の公用語です。
この記事ではイーンス語のざっくりとした部分を解説します。
イーンス語はVSO語順の言語です。音韻論的には閉音節が許容され、子音クラスタは音節末に限定されます。文字はこの環境ではIPAにほとんど準拠しています。3つだけ例外的で、cは/t͡ʃ/を、zは/ʒ/を、xは/z/を、用いています。合字は美しくないからな……
子音
m n ɲ ŋ (p) t d (k) ɡ c[t͡ʃ] w[β~w] f θ ð s x[z] l ʃ z[ʒ] h j r
母音
a i u e ɛ o ɔ
文法的にはやや膠着語的な性質を持つ孤立語です。接辞のほとんどは化石的であり生産的ではありません。品詞に動詞、名詞の区別はなく単純に語順で判断します。語の活用をすることができますが、それらは時制、アスペクトを示す意味はほとんどなく丁寧さと厳格さを表しています。
(ただしこれらの性質について、自分が果たして学術的に正確な呼び方を支えているかcarbon13自身も自信がありません......たとえば、「活用」は言語学用語として動詞が変化する場合に使いますがイーンス語では形態論的に完全に区別される動詞はないわけで、さらに後述はしますが先に述べた意味以外で同じ形態を用いることがあります。そういう意味では活用ではないかもしれません)
「〜は〜である」という文を表す時は、単にそれらのものを並べれば問題ありません。
faʃwaːe pewaːŋs
ファシュヮーエは女性だ
ややこしいのが動詞を含む文です。まず、イーンス語には「新参語」「古参語」と呼ばれる語彙のグループがあるのを覚えてください。一般的に言語学でいう文法的性に近いですが、似た意味を持つ新参語と古参語の組み合わせがいくつもあることがやや違います。名詞クラスがあるような言語で、接辞によって名詞クラスを切り替えることが可能であるようなスワヒリ語などの言語に近いです。まあスワヒリ語ほど自由に組み替えられませんが……
イーンス語の文法の基本的骨格は、「新参語は新参語動詞の目的語に、古参語は古参語動詞の目的語になる」という一文で言い表せます。あとは全て補足事項です。
たとえば、新参語文(新参語を動詞に持つ文)で「私は本を持っています」は、以下のように述べられます。
meulwaːlf uːʃo ciː.
新参語-新参語-一人称
ここでは主語は省略されています! 語順はVSOなので、「持つ」「本を」の順番で語が並べられたあと、動作の主体を示す「ネー」があとに続いているだけです。
ここに新参語ではない語がある場合を考えます。meulwaːlfはだいたい「持つ」の意味ですが文脈によっては「わたす」「与える」の意味もあります。なので、古参語を文に一つ足すと意味が変わります。
meulwaːlf uːʃo ofa ciː.
私は妻に本を渡した。
新参語-新参語-古参語-一人称
古参語 ofa「妻」です。ここでは日本語の「に」の役割を古参語が担っています。
新参語と古参語おおむね同じ意味で、以上のような新参語文は古参語文として言い換えられます。
biðiː juːŋs umwaːm ciː.
私は妻に本を渡した。
古参語-古参語-新参語-一人称
これらは理論的には完全に同じ意味です。ただし、meulwaːlfに「持つ」「渡す」と意味の広がりがあったように、個々の単語の意味の広がりも考慮に入れなくてはなりません。具体的には、古参語biðiːは、「与える」「渡す」という意味がありますがmeulwaːlfとは異なり「持つ」の意味を持っていません。そして逆に「文法」「才能」の意味を持っています。これの判別は完全に文脈に依存しています!
理論的には新参語と古参語の同じ意味を持つとみなすことのできる組み合わせを「ラバターン」と呼んでいます。meulwaːlfとbiðiːは「与える」の意味ではラバターンですがそれぞれ「持つ」「文法」の意味ではラバターンではありません。ラバターンの整合性が同じテキスト内で取れている文の方が「良い文章」です。……そういう設定です。
(私は、純粋に理論を楽しむ日曜言語学者ではなく架空世界を丸ごと想像することを楽しむ、界隈ではどちらかと言えばマイナーな方針の人工言語創作者です。界隈のことには詳しくないのですが、昔から「人工言語創作者、スタイルが違いすぎ」と言われていたことは聞き及んでいます。私は、理論そのものよりもその背後にある人の生活や運動に興味があります。そのため、以下の言語の説明はだいたい「そういうふうに世界内の人々はとらえています」という、言語そのものではない「解釈」の説明も含んでいます)
新参語文にある古参語、古参語文にある新参語は日本語の「に」「から」「で」「より」などの表現に対応しています。言語学的な言い方だと与格や奪格表現に対応しています。これは、設定的には「VSOの要素を満たしている文が完全な文である」という前提を含意しています(設定的にはこのような前提を満たす文を「バスファースィー」と呼んでいます)。「英語は前置詞なしで置かれる名詞を特別視する」とか、言語全体の世界観の話です。動作の主体を表現する二次的な文法が生まれたので主語は省略可能ですが、語を増やすにはそれなりの表現が必要ということです。この文法では動詞の意味によってどのような意味の項か判断することになりますが、一応前置詞的なものも置くことはできます。
meulwaːlf uːʃo bis ofa ciː.
私は妻に本を渡した。
新参語-新参語-古参語-古参語-一人称
bis 「〜に」です。この場合でも新参語文に対しては古参語が現れます。
よし
この調子で文法事項を日本語の表現に当てはめていく感じで説明していきます。
主格、対格、与格に関してはこれまで述べた通りですが、属格は異なります。語の活用を用いて表します。
facan feːliː facuf ʃislwaːlf mis.
私の姉は静かなのが好きだ
新参語-新参語第一敬体-新参語-新参語-三人称
まず活用にそれぞれ番号が振られていて……
通常体(無標=0)、第一敬体、第二敬体、第三敬体、第一厳格体、第二厳格体です。敬体は丁寧さ、厳格体は厳格さを表しているのは前にも述べた通りですが、文法的に用いる場合は「番号が大きい方が少ないに対してその形容的な表現である」です…………
文をレイヤーでとらえています。新参語と古参語はレイヤー違いで、これにより表される意味は(VSOを「完全」な文としてとらえた前提があった上で)異なるレイヤーの意味合いの新参語が与格的である、ということです。活用は、それによって形容される側、日本語では「〜の」の後に来るもの(「私のりんご」の「りんご」)が、よりレイヤーがメインに近いという意味で用いられています。
上の文では第一敬体を用いていましたが、無標につく場合は第二敬体でも第三敬体でも文法にしたがっています! 無標の通常体に対しては敬体を使っても厳格体を使っても良いです! ただし、基準となる形容される側の語を「厳格さ」「丁寧さ」を表す意味でどちらかで使った場合は、それに合わせた活用を用いなくてはなりません。
ziːfacufl ziːʃiuwaːufc piʃisuːn
姉の結婚が苦痛です。
新参語第二厳格体-新参語第一厳格体-新参語
ネガティブな意味合いで厳格体を使用するため、「結婚」を厳格体で言った文ですが、「姉」も厳格体になっています。
この文法は再帰的に繰り返してもいいです。「通常体の第二厳格体の第一厳格体の通常体」は、0 > 2 > 1 > 0のように数字を繰り返せるので文法的です。
そしてこの属格的表現にもラバターンが適用されます(この言語を話している設定上の人々はこれもラバターンと呼んでいる、という意味です)。一度「第一厳格体の通常体」という方法で活用を登場させたあとは、次も通常体に対する属格表現は「第一厳格体の通常体」という方法で表現することが求められます。文法的に必ずそうするべきというルールはないものの、そちらの方が読みやすくいい文章です……
実際(実際?)、イーンス語で書かれる聖典は、このようなラバターンに完全に従っていることが知られています(という設定を込みで私が言語を作っているという意味です)。
以上、イーンス語の基礎的な紹介でした〜 次回、言明と文?!
追記:Q&A
質問がございました!
Q. 新参語がない場合や古参語が思い当たらない場合、不便では?
A. 実は新参語には2種類のタイプがあってえ…… そのうち「シピン」と呼ばれるタイプの新参語が、実は古参語の形態素から構成されています。歴史的には、足りない語を古参語から補充して現在のラバターン体系が構築された(という設定です)……。たとえば、この記事の例文に出たmeulwaːlfは、mel「荷物」lilf「する」の古い古参語の組み合わせに、接中辞-lag-がつくことでmeulwaːlfが構成されています。つまり、古参語に対して二次的に新参語というクラスが設けられて、古参語の方が数が多く便利ではなかったので、歴史的にはそれを補充して文法的に発展してきたということですね……
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