AND
ji を使うことにより、複数のものが同時に何らかの条件を満たすことを表せます。日本語でいえば、名詞を並列する「A と B と C」、形容詞を並列する「A かつ B かつ C(A であって B であって C)」、動詞を並列する「A して B して C する」などにおよそ相当します。
- myaw ji bwaw「猫と犬」
- day ji kaway haul「大きく、かつかわいい狼」
- Haul le jagecu ji pawbu.「狼が目覚め、走った。」
ji を接続詞として使う場合、「そして」のような意味になります。
OR
or を使うことにより、複数のもののうちどれかひとつが何らかの条件を満たすことを表せます。日本語でいえば、名詞を並列する「A か B か C」、形容詞を並列する「A または B または C(A であるか B であるか C であるような)」、動詞を並列する「A するか B するか C する」などにおよそ相当します。
- geo or bahari「陸か海」
- day or neo geo「大きい、または新しい土地」
- Am jagecu or awidi.「目覚めるか立ち去るかをしなさい。」
or を接続詞として使う場合、「あるいは」のような意味になります。
iji, oro
複数あるものに話題の焦点があたっており、「A も B も C も」や「A か B か C かのいずれか」などと表現したい場合があります。このとき、並列する句の前に専用の語を置いて表現します。ji には iji を、or には oro をそれぞれ使用します。
- Mi suki iji bwaw ji myaw.「私は犬も猫も好きだ。」
- Am oko oro bwaw or myaw.「犬か猫かのどちらかを見なさい。」
nor, noro
noro… nor … の形式で、並列されているもののうちどれひとつとして何らかの条件を満たさないことを表現できます。
- Mi suki noro bwaw nor myaw.「私は犬も猫も好きではない。」
nor は否定文に他の文を続けるための接続詞として使用することもできます。この場合、「〜でもない」という意味になります。(このとき、nor 自身が否定の意味を有しているので、nor 側の節には他の否定語がない状態で否定の意味を表すことになります。)
- Mi no suki bwaw. Nor mi suki myaw. 「私は犬が好きではない。また、猫も好きではない。」
余談:排他的論理和
日本語で「A または B」というと、通常 A, B のうちどれかひとつを指すところですが、複数の選択肢が存在するときに、ちょうどひとつのみを指定することだけでは用が足りない場合あります。日本語の場合、「A か B、またはその両方」などと表現することが多いです。
グロバサの or は基本的にこのふたつの「または」を区別しないので、一方のみを指したい場合には A or B (or moydua)1 だとか、A or B (mas no moydua)2 などと表現する必要があります。
さて、論理学の分野などでは、厳密に一方のみを指す場合(「どちらも」を許容しない場合)について、排他的論理和(Exclusive or; XOR)という名前が与えられています。XOR の X は exclusive の ex- でしょう。
ここからが本題なのですが、グロバサには排他的論理和を指すための専用の接続表現が設定されているのでしょうか?
or に対して oro、nor に対して noro、という語形を見て、「XOR は『xoro…xor』で表現するのだろうな」と思った人も多いのではないでしょうか?
残念ながらこの期待は裏切られます。グロバサには排他的論理和を表す接続表現は存在せず、仮に今後導入されることになるとしても、それは xoro や xor という語形になることは(おそらく)許可されません。というのも、グロバサは最小対や同音語を非常によく気にする言語であるので、xoru(「開始(する/させる)」)という語彙が存在する状況で xoro が許容されるとは考えづらいためです。さらに悪いことに、xoru には縮約形態素として xor- という派生語が存在するので、xor は類音語どころか同音語という扱いになります3(もっとも、どちらであっても結果は同じことですが)。
kama, kam
最後に、似たような構文を持つ kama と kam についても言及しておきます。これは複数の節のうちどれかひとつを指すための表現で、「A するか B するか C するか(どうか)」という意味になります。
- Mi no jixi kama te suki byaw kam te no suki bwaw.「かれが犬を好きであるか、それともかれが犬を好きでないか、私は知らない。」 実際のところ、kam 以下の部分は簡略化されて no だけになっていることが大半です。
- Mi no jixi kama te suki byaw kam no.「かれが犬を好きであるかどうかを私は知らない。」
kama、およびこの用法の kam は、疑問の助詞である kam に由来します。この語は文頭に置くことで疑問文をつくるのが最も一般的な用法です。
- Kam yu suki bwaw?「あなたは犬が好きですか?」
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