coi rodo mi'e .slaimsan.
皆さんこんにちは。スライムさんです。
今日は、5年くらい前に考えたアスペクトの話をまとめようと思います。X(旧Twitter)で散発的に考え方は書いていたのですが、そう言えば纏まったものがないと思い、今回まとめることにしました。(厳密には、togetterに少しまとめてましたが、もうちょっとちゃんと説明します。)
0. 思い出したきっかけ
Ziphilさんがこの記事で造語するときに形容詞として作るべきか、動詞で作るべきかという話をしていて、そう言えば似たような話を考えたことがあったなと思い出したのがきっかけでした。
1. 問題意識
そもそも品詞の面で言うなら、私が独自の言語を作る時はロジバンのやり方を真似して、形容詞も動詞も selbri (あえて言うなら、「述語」)というものに統合されるので、形容詞か動詞かというのは、気にする必要はないです。ただし一方踏み込んで「大きい」という形容詞的な述語を基本にするのか、「大きくなる」という自動詞的な述語にするのか、「大きくする」という他動詞的な述語にするのか、どれが良いのかという問題を考えていました。
例えば一般的な言語だと、動詞であれば自動詞か他動詞かを動詞ごとに覚えておく必要があります。後、場合によっては自動詞か形容詞かで迷うパターンもあります。記憶力の弱いスライムさんとしては、この辺りを覚えたくないので何とかならないかと思っていました。その結果導き出したのが「状態を表す語を基本とし、アスペクトを付加する」という方式です。これを今回は説明していきます。
2. 自動詞と他動詞の統合
まずは自動詞か他動詞か覚えなくて済むようにしましょう。
まず、当時参照していたのはアルカです。アルカではほとんど全ての動詞が他動詞です。(参考p.184, 274) 例外はコピュラだけです。この方針も悪くはないのですが、気持ちの悪さが残ります。というのも、本質的に他動詞化するのが難しい動詞まで他動詞化されているからです。典型的なのは、移動を表すタイプの動詞です。アルカで「行く」を表す語 ke は、目的語に目的地が来るようになっています。しかしこれは、私の感覚からすると奇妙です。というのも目的地は、私が行くという行為の影響を受けていないので目的語となるのは非常に違和感があります。(後、コピュラという例外もちょっと気持ちが悪いです。)
というわけで、私は全ての動詞を自動詞に統一することにしました。厳密には、能格言語のような形を基本とすることにしました。こうすることで、本質的に自動詞である移動系の動詞はそのままの意味で自動詞として扱えることになります。他動詞的な動詞は「受動態」の形を基本とすることで自動詞として扱います。他動詞的な意味にしたいときは、それを引き起こした動作主の情報を別途で付加します。(英語の受動態で動作主を表すのに by を使って表すのと同じことをします。)
はい、これで動詞的な述語の自動詞と他動詞は統合できました。動詞の自他を覚える必要はなくなります。
3. 自動詞と状態動詞の統合
他動詞は考えなくてよくなりましたが、問題は残っています。それは「大きくなる」と「大きい」という、自動詞的な意味と、状態を表す意味の区別というものです。些細な差ではあるのですが、この意味の差を動詞を覚える時に同時に覚えなきゃならないのは、記憶力の弱いスライムさんとしては嬉しくないです。(記憶力が貧弱すぎる。)というわけで、自動詞と状態動詞(≒形容詞)を統合していきましょう。
さて、自動詞と状態動詞の差ですが、言及している時間の範囲が若干異なります。「大きい」という状態は「何かと比べて大きい」という現在時点における言及です。「大きくなる」というのは現在時点において「大きい」という言及に加えて、過去のある時点においては「大きくなかった」ということにも暗に言及しています。つまり、アスペクトの差です! そうです! みんな大好きアスペクト論です! (10年くらい前の人工言語で、この辺りのアスペクトを考察するのが流行った記憶があるんですよね。)
つまるところ、状態動詞と自動詞の差はアスペクトの差だと考えました。そうすれば、自動詞と状態動詞は、同じ述語でアスペクトが違うものとして統合することができるのです。
4. スライムさんのアスペクト論
当時参照していたアルカでは、上記リンクの通り、アスペクトを7相に分けています。私から見ると、これは分け過ぎな感じがしていて、意味の差が分からない部分もあります。と言うわけで、上手い具合にアスペクトを単純化しようと考えました。そこで作られたのが、今から説明するアスペクト論です。
まず、状態を表す表現を基本とします。その状態であるアスペクトを「内相」と呼びます。数学の集合論で、述語で表されている条件を満たしている時に、集合の丸の中に元の点を書くことが多いのですが、このイメージです。述語で表されている丸の内側にあるので内相です。逆に丸の中に入っていない時は「外相」です。その状態でないということです。
次に自動詞的な「大きくなる」を表す相を考えます。これは外側から内側に入る動きになります。大きくなかった(外相)ところから大きい(内相)になるということです。こういう動きを表すアスペクトを「入相」とします。逆に、大きくなくなるのは内側から外側への動きなので「出相」です。
内外入出の4つを基本的なアスペクトとするのが私のアスペクト論です。
5. 副次的な効果: 極性の統合
極性というのは、肯定か否定かということです。大抵、肯定が無標識で否定にはnotのような語が付きます。私のアスペクト論では、外相が否定形になります。つまり極性がアスペクトに統合されます。
これが今のところの私のアスペクトの体系的になります。
人気順のコメント(3)
面白いアイデアですね!内外入出の4つのアスペクトを使えば、「持っている」「持っていない」「得る」「失う」や「着ている」「着ていない(裸である)」「着る」「脱ぐ」などを1つの述語語幹のアスペクトの相違としてまとめることができ効率的だと思いました。極性と相をまとめることで文法範疇を減らせるのもポイントが高いです。
一方で疑問に思ったのは、スライムさんの仰る「アスペクト」とアルカの「アスペクト」が本当に同じものなのか?という点です。アルカのアスペクトは、外相から内相に至るまでの「変化」(つまり入相・出相)の段階を切り分けたものであるように思います。一方でスライムさんの提示されたアスペクトは、変化の段階というよりは述語の「状態」をおおまかに区分したものであるように見受けられます。入相や出相と一口に言っても、そこには動作の前・途中・後のような段階の表現が必要となるはずで、それには結局アルカのようなアスペクト区分が必要なのではないかと思いました。(そうでないと、例えば単に「大きい」ことと、大きくなるという変化を経た結果[アルカで言う継続相]としての「大きい」が区別できなくなってしまいます)。そのような表現はスライムさんのアスペクト論ではどのように実現するのでしょうか?
ありがとうございます。
確かにアルカのアスペクトとは大分違うと思います。アルカのアスペクトが変化の段階を細かく分けたものだというのもそうだなと思います。
個人的にはアルカのアスペクトは分け過ぎだなと思っています。座ろうとして膝を曲げ始めた段階のアスペクトを使う機会がどれだけあるんだろうと思ってしまいます。
後、10年前に、おかゆさん辺りから出てきた意見で、アスペクトはフラクタルの様に無限に細かく分けられるのではという話がありました。この案を採用するなら座り始めのようなアスペクトは「入相の入相」みたいな形で表せるのではと思い、基本相は単純化したというのもあります。
相を入れ子状にするという発想はなかったです。確かに相も一種の状態ですし、入相の入相は実質将然相であると言えますね。これは盲点でした。ありがとうございました
私もアルカのアスペクトは過剰だと思います。動詞ごとの当てはめ方が恣意的になってしまうような気がしますね