1.語彙数が極限に少なすぎる(136語)ことによる弊害
[文脈への過度な依存]
わずか136語で宇宙のあらゆる概念を表現しようとするため、1つの単語が非常に多くの意味を兼ね備えています。例えば、同じ文が「私は話す」と「私は言語である」の双方に解釈できるなど、文脈に依存しすぎており、誤解が生じるリスクが極めて高いシステムです。
反論:トキポナでも mi toki は「私は話す」と「私は言語である」の双方に解釈できます。
[複合語の解釈の曖昧さ]
複数の概念を組み合わせて新しい意味を作りますが、例えば ban ha hen という組み合わせが「奇妙なトイレ」とも「酒蔵」とも解釈できてしまうため、文法構造を複雑にする修飾マーカー e などを別途補う必要が生じています。
反論:トキポナの pi に相当するマーカーが必要になることは「弊害」ではなく、むしろその逆(ナイスアイディア)です。
2.音韻論(発音)における妥協と不整合
[日本人や特定言語の母者への配慮の不足]
世界中の人々にとって発音しやすい言語を目指しながらも、日本人が苦手とする hu(声門摩擦音)と fu(両唇摩擦音)の区別を強制しています。区別が難しい場合は hu を çu で代用してよいとする妥協案が示されていますが、これは国際補助語としての厳密な標準化を妨げる要因になります。
反論:ランディでは、ヤ行の無声音(ヒャのような音)と、ワ行の無声音(ファのような音)を、ペアの摩擦音として定義しています。そして「ヒャの音とハの音を区別しない」というルールと「wa(両唇摩擦)の無声音と va(唇歯摩擦)の無声音を区別しない」というルールを設けています。母音を「イ」にしてみると、前者はどちらも「ヒ」になり、後者はどちらも「フィ」になります。母音が「イ」のときに日本人が聞き分けられない音を「同じ音とみなして区別しない」というルールは「日本人への配慮の不足」どころか「日本人への配慮」そのものです。
[発音の例外と不規則性]
動詞の語尾が n で終わり、その後に助詞 r が続く場合(nr)、発音が難しいため口頭では rn に音を入れ替えて(スワップして)発音してよいという例外規則が存在します。これは「シンプルで合理的」という設計思想に反し、学習者にとって不自然な負担となります。
反論:確かに、これはランディに存在する奇妙な部分です。この点については、次のように理解してください。まず、ns(ンス)と sn(スン)をランディの文字で書くと、まったく同じ形になります。同様に、nr(ンル)と rn(ルン)も、ランディの文字では同じ形になります。つまり、ランディの文字の仕組みにより、ns と sn は区別できず、nr と rn も区別できないのです。よって、どちらの読み方で読んでも構わないのです。tans でも tasn でも構わないので、発音しやすい tans を推奨し、tanr でも tarn でも構わないので、発音しやすい tarn を推奨しているだけなのです。つまり、これは「例外的規則」ではなく、「シンプルで合理的」という設計思想にも反していません。合理的に複数の要素を1音節にまとめ上げているのですから、まさに「設計思想」そのものです。
3.独自の文字システム(7セグメント)の限界
[可読性と視認性の低さ]
電卓の「7セグメント表示」をベースにした文字は、曲線や斜線がないため単純ですが、形状が酷似した文字が多くなります。また、文字を垂直に反転させただけで別の音(例えば bu の反転が ku)になるなど、手書きの際や視覚的に見分ける際の判別が非常に難しく、誤読を招きやすいデザインです。
反論:誤読を招きにくいデザインにするということは、文字に「制作者の主観を反映させる」ということです。ランディは、徹底的に中立的な立場で、主観を排除して「簡易」のみを追求しています。その結果、7セグメントで表示できる128パターンのすべてに何かしらの意味を持たせるという文字体系になりました。誤読を招きやすいのは、設計思想上やむをえません。
[デジタル表示におけるフォント依存の脆弱性]
解説内でもスマートフォンなどのモバイルモードで表示した際に「一部の特殊文字が読み込めず空白になる」という注意書きがあり、現代のデジタルコミュニケーション環境において標準的なテキストデータとして流通させるには技術的な障壁があります。
反論:既存の文字と違うので既成の環境下で流通させるには障壁がある、というのは当然です。ランディは、既存のデジタルコミュニケーション環境をもとに作られてはいません。ランディは「既成の環境下での流通のしやすさ」を求めておらず、既存の文字(理論的に作られていない)を受け継ぐこともしません。何千・何万とある世界の文字を、たった128種の合理的・論理的な文字にしてしまおう、という試みがランディです。7セグメントで表示できる128種類の形状が、既存のデジタルコミュニケーション環境に存在していないのは「環境」の問題であって、ランディの設計思想そのものの問題ではありません。
4.文法における合理性の欠如
[時制の不在による表現の冗長化]
動詞そのものに現在・過去・未来の区別がありません。時制を明確にしたい場合は、わざわざ ron puse(過去において)や puse ra(過去が...なら)といった前置詞や接続詞の節を文頭や文末に付加する必要があり、文章が結果的に長くなり簡潔さを損ないます。
反論:このような文法は、インドネシア語やマレー語にも共通です。時制を明確にしないと相手に話の意図が伝わらない場合が全体の8割も9割もあれば確かに結果的に文章が長くなり簡潔さを損なうでしょうが、実際には時制の付加が必要になるケースは稀です。結果的に文章は短くなり、より簡潔になります。
5.既存の人工言語(トキポナ等)との差別化の弱さ
[語彙選定における論理性の限界]
語彙の設計において、ソニャ・ラング氏の「トキポナ」を強く参考にしていますが、単語の選定理由に「タイ語の...から取った」「韓国語の...に似ている」といった様々な自然言語からの恣意的な借用が混在しており、言語全体としての一貫性や中立的な合理性に欠ける部分が見られます。
反論:136種の音節と136種の意味(概念)があるとして、どの音節にどの意味(概念)を対応させるか、つまり136個の単語の発音をどう決めるか、それを完全に中立的にやるにはどうするべきでしょうか?くじ引きで決めるのですか?乱数で決めるのですか?そんなことをやったら、発音とその意味が感覚的に合わないなど、いろいろと問題が起きるに決まっています。たとえば「見る」はタイ語で du であり「聞く」は韓国語で tu です。視覚と聴覚が、歯茎破裂音(有声・無声)に対応しているので、覚えやすくはないですか?ランディの単語は、このようにして作られています。中立的な合理性に欠けているでしょうか?
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1の[文脈への過度な依存]への反論がよくわからない。おおよそ「あの有名なトキポナでもそのようなことが起こるからそれは問題にならない」と言いたいのだろうけど、それは違うと思う。まず「トキポナでもそうである」という言い分はわかる。しかし一番重要な、トキポナとランディはどのようにしてAIの指摘した問題を解決・解消しているのか?までは書けてない。もしくは……これを問題だと思っていないのだとしたらお笑いだな。
なんかちょっと面白かったです