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Paku
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コトバには単位があるらしい

 おはようございます。pakuです。
 執筆をスタートしてから今日で2記事となります。

 今回の記事では、私が言語を作る上で絶対に必要な要素、『言語の単位』について解説していきます。

 前記事『ごあいさつ』を読んでくださった方はよりいっそう、読んでいない方でも楽しめるよう、今回の記事でも話題を広げていきたいと思います。
 最後まで読んでいただけると幸いです。



中1の『文法』という授業にて

 私の通っていた中学校では、一年生と二年生の間だけ、国語の授業とは別に『文法』という授業がありました。
 みなさんの中にもそういう授業を受けた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 普段何気なく使っている動詞の活用、形容詞と形容動詞の判別、自立語と付属語という細分化など、様々な小難しい話をされたのを覚えています。

 そんな中で、私が特に印象に残っている授業シーンが一つ。
 それは、日本語という言語の『単位』を覚える授業でした。

 その授業では丸一時間通して、次のことを覚えさせられました。

『文章』『段落』『文』『文節』『単語』

 という、5つの言葉の羅列です。

 その授業、ひいては次の授業に至るまで、

ブンショウ ダンラク ブン ブンセツ タンゴ!!!!

 と延々と復唱したのを覚えています(笑)

 もしかしたら同じような授業を受けた方もいらっしゃるのかな?と思いますが、やっぱり印象的ですよね。

 じゃあこの羅列は一体何を表していたのか、それを一度ここで考えてみましょう。



用語じゃなくて『単位』なの?

 先程も申し上げた通り、これら5つは『日本語の単位』です。

 単位といえば、m(メートル)とかkg(キログラム)とか、数学や物理なんかで重宝されるイメージがありますよね。
 「それが国語に出てくるの…?」「文法用語とかじゃなくて『単位』なの?」と、私は思いました。

 ですがよく考えてみると、単位と言っても申し分ないことに気づきます。

 これらの頭に『一』という数字をくっつけてみると……。

 一文章、一段落、一文、一文節、一単語

 どれも日常生活、あるいは国語で聞いたことのある数え方です。

 一文、一単語なんかはよく使いますよね。
 小説でも「ここの一文が好きなんだよ〜」とか、「一単語一単語に作者の語彙力が感じられる」とか言います。

 一段落(いちだんらく)に及んでは、異音語で『一段落(ひとだんらく)』という言葉もあります。ここでの用法とはまた少し異なりますが、一という数詞がくっついても違和感がないのは間違いありません。

 文節というのはあまり聞き馴染みがないかもしれませんが、後述する『文節』というものの定義を見ればきっと単位であることが分かるでしょう。『文章』も然りです。

 よってこれらが単位として機能することを確かめられました。

 それでは次は、そもそも文節が何を指しているのか、文と文章って何が違うのか、そういう定義的な話をしていきましょう。



どういう意味なの?

 今回は日本語のとある文章を例として説明していきます。

————————————————————
 私たちの住む地球が二酸化炭素の脅威によって滅亡の危機に晒されている、という文献をよく目にします。ですが、文献の言うことがいつも正しいとは限りません。それが事実が否かは、私たちの目で確かめる必要があるからです。

 そもそも現在の地球は、百年前と比べてどう進化、あるいは退化したのでしょうか。二酸化炭素による侵攻が年単位で漸進しているのだとしたら、現在の地球は百年前より豊かであってはなりません。草木はおろか、人も元気を消衰させていなければ、温暖化によるマイナスな影響に説明が付かないからです。

 ですが、現在の地球が百年前よりも劣っているということを私たちが肌で実感する機会はそう多くありません。それは、百年前よりも進化しており、かつその進化する速度が温暖化の進行速度よりも速いものがあるからと言えるでしょう。それは、世界を豊かに、便利に、グローバルにしていくもの。私たちはそれを『科学技術』と呼びます。
————————————————————

 非常に長いですね。ちなみにこれは私が書きました。

 さて。これについて、言語の単位の正体を解明していきましょう。

 まず、上の長ったらしい日本語たち。

 ダッシュで囲われた引用部分すべてのことを、『文章』と呼びます。

 まあ、常識といえば常識ですね。
 小説で評論文でも、本のページを開いた中に連ねられているものを総括した名前が『文章』。
 もちろんこれは私たちが当然のように使う言葉です。

 書かれている文字列が長ければ長いほど『文章が長い』と言いますし、長さの絶対値を表した言葉に『文章量』なんてものもあります。
 とても身近な存在だということは直感的に分かっていただけたことでしょう。

 次に、この文章の改行・文頭の空白で仕切られているまとまりについて説明していきます。

 具体的には『私たちの住む~』から『~必要があるからです。』だったり、『そもそも現在の地球は~』から『説明が付かないからです。』だったり。

 これらのことを、『段落』と呼びます。

 「文章の中で話題や考え方が移るときに使用される」という特徴があるそうですが、確かに上の文章でもそういった使われ方がされていますね。

 そういえば、中学の現代国語で、段落の文頭空白にチェックを入れて、学習している文章が何段落に分かれているか確かめるみたいな授業がありました。

 それで言うと、上記の文章は『3つの段落に分かれている』と言えます。

 あるいは、『3つの段落で1つの文章が作られている』ということもできますね。

 次はもっとシンプルな説明。

 『。(句点)』から『。(句点)』までの、まとまった内容を示す一続きの言葉。

「私たちはそれを『科学技術』と呼びます。」

 なんかもそう。

 これのことを、『文』と呼びます。

 言われなくても分かってるわい!と言いたくなる気持ちは分かりますが、実は日本人は「文と文章の使い分け」が苦手なんだそう。

 そもそも文と文章の細分化をする文化も日本特有だそうで、英語では一口に"sentence"と言ってしまえば、文も文章も表してしまうのだとか。

 ただ、だからと言って無駄に難しく小分けにして覚える必要もありません。
 ここで覚えて帰ってほしいのは、例えば「吾輩は猫である。」という一節は『文』で、『吾輩は猫である』という作品そのものは『文章』だよ、的なことです。
 そういうニュアンスさえ掴んでくださればOK!

 次から少し難しくなります。

 先ほどの文の引用を使って説明しましょう。

「私たちはそれを『科学技術』と呼びます。」

 これは『文』。

 ではこれを、意味が不自然でなく通る限界まで切り分けてみます。ここでは『/(スラッシュ)』で区切ることにします。

 えいっ。

「私たちは/それを/『科学技術』と/呼びます。」

 なんかこの操作、懐かしい感じしませんか??

 こうして分けられた『私たちは』『それを』という、不自然なく意味が理解できる範囲で限界まで短くした部分。

 これらのことを『文節』と呼びます。

 一つ前の章で「文節も数えられる」と言いましたが、これを見れば一目瞭然ですね。
 示した一文は『私たちは』『それを』『『科学技術』と』『呼びます』という4つの文節からなっています。もっと長い文であればそれに応じて文節の数も増えるでしょう。
 それだけ文節における個数は重要な要素だと言えます。

 また、そんな文節という概念ですが、他とは異なる特徴として『日本語以外に観測されにくい』ということが挙げられます。
 英語や中国語なんかでは、後に紹介する『単語』と一緒くたにされることが多いようです。それを理由付けるのは、日本語にのみ存在する「て」「に」「を」「は」などを例とする『助詞』という付属語で……

 と、難しい話はここまでにして、『文節』が何かという輪郭が掴めたところで、次に行きましょう。

「私たちは/それを/『科学技術』と/呼びます。」

 これは『文節』ごとに分けられた『文』です。

 最後はこれを、言葉そのものの意味が消失しない限界まで小さく分けていきます。この際、分けられた後に残ったまとまりにおける単体での不自然さは問いません。

 えいっ。

「私たち/は/それ/を/『科学技術』/と/呼び/ます。」

 文節分けとは異なり、「は」「を」「と」「ます」など、それだけではメッセージ性を持たない言葉が生まれてきました。

 このように、意味のひとまとまりを示し、構文上の働きを持つ最小の単位を『単語』と呼びます。

 もちろん『paku』という私の名前も、あなたの名前も一つの単語ですし、『私』『あなた』という語も単語です。

 つまり、この世にくまなく遍満存在しているということ。

 ちなみにですが、この記事のこの文より上の文章の中に存在する単語数は、合計で2658個です。凄まじい。
 対して文の数は97個、段落の数(ここでは文頭に空白があるまとまり)は94個だそうです。比較してみると単語の単位としての小ささが分かりますね。



5つの単位の特徴

 さて、単位の紹介が終わったところで、そろそろ応用的な話もしていきましょう。

 みなさんにお聞きします。
 1mm、1cm、1m。これらで最も小さいのはどれですか?

 はい。もちろん1mmですね。
その次は1cm、最も大きいのが1mです。

 同じ1という数字が付いているのに1mmが1cmより小さい、よく考えたら不思議な話です。ではどうして、私達は直感的に「1mmのほうが1cmより小さい!」と思えたのでしょう。

 それはズバリ、数字ではなく単位に大小があるからです。

 数学的な定義に基づくと、10mmで1cm、100cmで1mを表します。つまり、mmはcmより10倍小さくcmはmより100倍小さいと言えるということです。

 それと同時に、自分より小さい単位が複数集まることで、自分の単位や、あるいは自分より大きい単位にグレードアップするということも言えましょう。

 今までは長さの単位を例に挙げていましたが、これは言語の単位でも同じことが言えてしまいます。

 単語が複数集まって文節ができる。

 文節が複数集まって文ができる。

 文が複数集まって段落ができる。

 段落が複数集まって文章ができる。

 どうでしょうか?これもmmからcmにグレードアップするみたいに、順番に単位が次のものに更新されていっていますよね。
 言語における『単位』という概念が精緻であること、分かっていただけましたでしょうか。



創作言語に単位を応用!

 忘れていましたが、この記事は私の創作言語について語る記事でした。てっきり文法の解説書を作っているのかと勘違いしてしまっておりました……(???)

 というわけで、満を持して創作言語に『単位』という設定を当てはめてやりましょう!

 日本語における『単位』の5つを扱うにあたって、注意しなければいけないことが一つ。
 それは、『文節』の処遇についてです。

 前述した通り、5つの単位の中で唯一他言語に観測されづらいのが『文節』。比較的会得の簡単な英語にも、その存在はありません。

 前記事である『ごあいさつ』を読んでくださった方は分かると思いますが、私の創作する言語『エトゥレ語』は、日本語よりも圧倒的に簡単なものとなります。

 ですのでここは思い切って、『文節』は存在しないことにしましょう!削除!!

 というわけで、エトゥレ語は『文章』『段落』『文』『単語』の4つの単位で構成することとします。

 Q.言語を作るとき、最もはじめに作るべきものは、4つの単位のうちどれでしょう?

 と聞かれたら、たとえあなたが言語作家でなかったとしてもこう答えるでしょう。

 『単語』と。

 一つ前の章で私が強調したことは、単語という単位の小ささです。文や段落とは桁が違うことを確かめましたね。
 ですから、最も小さな単位の『単語』から作成を始めるのは無難で最適解であると言えるでしょう。

 ……もし、単位が4つだけならね。

 実はこれまで「日本語にある言語の単位は5つだよ〜」と言ってきました。ですが、本当は違うのです。
 確かに私が授業で教わったのは5つだけ。それは、普通は5つだけ知っていればいいからです。
 でもそれよりも、もーーーーーーーっと大切で、もーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと小さな単位があります。

「まだあんのかよ!!」

 と思ったあなた。すみません。まだあります。

 そんなあなたのために、ずばり言いましょう。

 単語より小さい単位、それは、『音節』です。

 たとえばこう。「私」という単語があります。
 これを音節で分けるとこうなります。

「わ/た/し」

 みなさんお察しがついた頃と思います。
 音節の定義はざっくり言うと、五十音に分類できる限界まで切り分けたもの。要するに、言葉の持つ意味を消してでも分けたもの、ということです。味も素っ気もないっすね笑

 では、言語を作るなら『音節』から、ということですか。

 ……いや、まだ分けます。まだ小さくできます。

「まだやるのかよ!いい加減にしろよ!」

 と思ったそこのあなた。ごめんなさい、まだやります。

 ここでは「わ/た/し」という音節を例にしてみます。
「わ/た/し」を音としてこれ以上分解することができない限界まで分けてみます。

 するとどうでしょう。

「w/a/t/a/s/i」

 アルファベットのローマ字になってしまいました。

 こうした発音として存在できる(逆に言えば、これ以上分けると音じゃなくなってしまう)最小単位のことを、『音素』といいます。
 読んで字の如く、音の素。言語もとい発音の、絶対にこれ以上は先がない単位を意味します。
 先に言っておきますが、ここまで「もう分けられない」と明言しているので、音素より小さな単位は存在しません。よかったね!!

 「ちょっと内容が多すぎてよく分からなかった……」
という方もいらっしゃるかもしれません。おさらいも兼ねて、音素についてもうちょっと説明を深めていきましょう。

 音素をもっと分かりやすく説明すると、aとかbとかそういうやつです。

 分かりやすいでしょう?

 aと書けば「あ」、kとiを並べれば「き」、sとuを並べれば「す」。めちゃくちゃ根本的な話になりましたね。

 ただ根本的だからこそ、aやkやsなんかが存在しなければ、文どころか単語も作れないということになります。

 というわけで、およそ5000字かけてようやく結論が出ました。

「言語を作るなら、初めは音素から作ったほうがよい!」

 ……当たり前じゃね?と、ぶっちゃけ思います。

 こんなちまちま解説する必要あったかな……と……

 ……いや!読者さんの勉強になればそれでヨシ!

 というわけで、ここまで解説したことを踏まえ、次作からは『エトゥレ語の音素と文字』について詳しく解説していこうと思います!

 ここまで読んでいただいてありがとうございました。

 それではまた次の記事で。

人気順のコメント(3)

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Paku

訂正:『文節』の解説に例示した「文節の概念が存在しない言語」に、韓国語と書いてしまっておりました。正しくは中国語です。
現在は修正しておりますが、既にお読みになった方々には、誤解を招く表記をしてしまいたいへん申し訳ありません。

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スライムさん

単語と音節の間に形態素があっても良いかもしれないです

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Paku

貴重なご意見ありがとうございます!
形態素の存在も書いておこうかと思ったのですが、一般的にあまり耳にしない単位用語で、かつ改めて調べてみても単語との差があまりみられなかったので、今回は省かせていただきました(実際私が受けた授業でも注釈として単語の次に音節が載っていました)。
別の記事で取り扱うかもしれませんので、次記事からもご期待ください😊