※ この記事は、悠里・大宇宙界隈 Advent Calendar 2022の八日目の記事です。
リパライン語では、日本語の「暴力」に当たる単語が三つ存在する。
"
letinno
"、"
hiarbet
"、"
normta
"の三つである。この分割は近現代リパラオネ人の「暴力」概念に強い影響を与えている。今回はリパライン語における暴力にまつわる単語を挙げて、彼らがどのような「暴力」概念を持っているのか考えていきたい。
letinno 他性毀損力
" letinno " は、リパラオネ人の一番基本的で、伝統的な「暴力」への考え方を表すとされている。その意義はすなわち " nefetolili'austanfy " 「“他”ではない状態を適用する行為の能力」という別の単語によって示されるものである。ヴェルテール哲学が近代に導入されると、この概念は更に明確化されるようになった。すなわち、リパラオネ人が第一に「暴力」と考えているのは「自分さえ『宿命』( kirxniarxa'd iulo )の達成に至れば良い」とするような主体( cilylista )の行動・力などであるとされた。
そのような行動はヴェルテールが避けようとする「無限戦争」へと人間を導く。
思想的な背景が付与された近代以降、 " letinno " はリパラオネ人的に重要な概念として考察が進められてきた。それは保守主義において顕著であり、スキュリオーティエ叙事詩と結び付けられることによってより具体化された形で表出した。
これは " nistaxol " の議論にも通じるが、英雄であるユフィアは「回避性」から「能動性」へと変化したとされる。まず、彼女は継承順位による当主着任を拒否し、弟にその権威を渡してしまう。しかし、回避は続かず、弟の死と神の使いによる誘導によって戦いに身を乗り出す。このような過程をリパラオネ思想では「伝統的な革命・反革命」( etollen nistaxol )と呼ぶ。ここから、まず「回避性」から始めるというのは " letinno " から極力離れるという動きであると考えられた。しかし、「回避性」のみでは、自己に対する " letinno " に転化してしまう。このような考えから、他者と自己への " letinno " の均衡のうちに正義( seldi'a )が存在するとするのがリパラオネ文化における伝統的な倫理観( la ple )となった。
hiarbet 精神的圧迫
"
hiarbet
" はラネーメ人の暴力概念であり、表語文字である燐字(の漢字転写)では「心圧」と書く。簡単には「心を不当に圧することやその状態」を指すとされる1。
ファイクレオネ近代法学を大成したレヴェンことレシェール・ヴェンタフ(
lexerl.ventaf
)は、このような心圧概念などを昇華させて自らの法概念を組み立てた。
レヴェンは「心圧」に関して論文『心圧としての心圧論』(1883)において「心圧概念を社会一般の縫製に適用することは、圧政機構を維持することに繋がるため、却って心圧を亢進させる」としている。また、『法の権威』(1886)においてはリパラオネ系宗教法理論あるところの教法学(
tvasnarlarsopitlyr
)やバート系慣習法理論であるところの水器論(
ietovenalera
)などとともに否定的に考察されている。レヴェン自身は心圧論を比較的圧政機構に走りにくいと考えていたが、歴史は実際には考えどおりには動かなかった。これを説明するためにレヴェンは倫理の階層(
sliejs fon la ple
)を提唱し、「法制という大規模かつ及ぼす影響の深刻な問題については、個人の生活における倫理規範をそのまま適用することはできない」ということを述べた。
このように "
hiarbet
" はリパラオネ人にとっては思想や法学に強く結びついたものとして捉えられており、ラネーメ人が身近にそれを捉えるほどには日常的な考えとは言えない。
normta 傷害
"
normta
" は、ユーゴック語の "namda" 「攻撃する、殴る」に由来する単語であり、具体的な生理的暴力行為を指す。リパラオネ文化としては、中世以降に明確化した概念であり、それまでは "
letinno
" と不可分であった。
このような概念が分離されていく過程は、法の形成と大きな関係がある。
例えば、教法学において「死亡」を認定するのはジルフィア(リパラオネ教の宗教的歴史観)にもとづき、肉体の腐敗によるものであるとされている。教法学における死亡が関係する罪状は「殺人罪」「動物虐待等罪」「自殺罪」が挙げられるが、ある者をこの罪状に基づいて罰するには、意図的な死亡を引き起こしたことを証明する必要がある2。
伝統的に "
letinno
" に基づく暴力概念を持っていたリパラオネ人は死亡の原因が人の言葉など直接的でない場合でも原因となった当人を罰することが出来ると考えていたが、この考え方が冤罪を繰り返しているということが近代法学の成立とともに明らかになり、次第に刑事法において "
letinno
" による死とは区別される "
normta
" による死が解釈され、これに基づくものが「意図的に他者の死亡を引き起こす罪」の基礎となっていった。一方で "
letinno
" による死や傷害の事実は、名誉毀損などの別方面の法文化を形成するに至った。
まとめ
リパラオネ文化における「三つの暴力」は倫理、伝統的な法、近代的な法の三つのジャンルの上に跨って存在している。そこからは彼らが正義、他者に対する暴力、人を裁く法をどのように素朴に考えているのかが分かる。
将来的には、2023年の第三回架空国家学会本科会で行われる "fentexol" に関する考察の発表と今回の暴力論を絡めて、イェスカ主義以前のリパラオネ思想における倫理を考察していきたいと思う。いせにほやスキュリオーティエ叙事詩を挙げて、具体的なところと結びつけてリパラオネ人とその言葉の中にどのような倫理観が現れているのか、考えていきたい。
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