ウタシア語
ウタシア天帝国で用いられる言語。音韻と文法的特徴は以下の通り。
音素
a i o e u
p b t d k g
f s h
m n l w j
文法
・VSO-NA
・前置詞使用
・膠着語
・主語は多くの場合省略
hagi aja tu mokuli
食べる-私-を-りんご
私はりんごをたべる。
ウタシア語の挨拶
挨拶はウタシア独自の定型詩「ウキア」の掛け合いによって行われる。ウキアは短歌のように上の句・下の句に分かれており、先に挨拶を切り出した方(大抵は身分・地位が高い方)が上の句を詠み、それを受けてもう一方が下の句を返す。ウキアは上の句・下の句それぞれ15モーラから構成されており、上の句・下の句で韻を踏むことが規則となっている。
挨拶に使われるウキアには2つのパターンがある。一つは、即興でウキアを詠む場合である。これはイサグ・フェ・ブオ (頭の挨拶) と呼ばれ、式典などの特別な場で用いられる他、貴族が互いの詩才を探り合うために行ったり、庶民が遊び感覚で用いることもある。もちろん詩作の技能が必須なため、難易度の高い挨拶である。
もう一つは、有名な詩集に収録された歌をそのまま用いる場合である。これは イサグ・フェ・アマ (腹の挨拶) と呼ばれ、一般には難易度の低いこちらを用いることが多い。しかし、上の句を詠む方はその場の雰囲気や状況に合わせたウキアを選ばなければならないし、下の句を詠む方はそのウキアの下の句を知っていなければならないため、どのみちウキア詩集などの知識が必須となる。
ここでは、イサグ・フェ・アマによく用いられるウキアを3つ紹介しよう。
①出会ったときの挨拶
上の句:aje nasi kula si masole kanu situfo
「空が泣いて、シトゥフォも聞こえぬならば」
下の句:dali tu juiseu le kaba si uda pulo
「雨音を太鼓にして道を行こうではないか」
この詩は描かれている状況通り、雨の日に出会った際に選ばれることの多いウキアである。シトゥフォとは、ウタシアで広く信仰されるカングノ教の礼拝時間を知らせる太鼓の音である。それが雨音で聞こえないので、雨音を太鼓の音だと思って礼拝に向かおうという意味である。元はカングノ教説話「馬小屋の男」の一節であり、幼いときから親しんだ話者が多いことから広く用いられるようになったと思われる。
②別れの時の挨拶
上の句:hame egu fe mao si kume egu fe leki
「太陽が来るのは遅く、月が来るのは早い」
下の句:awa konoi kula asi tasu amu desi
「天が回る限り、また会えるだろう」
アティオ朝時代の貴族ラスゲイ・エフマ二が故郷で再会した友人と別れる際に詠んだとされている。友人と過ごした一日の短さを嘆くラスゲイに対し、友人がまた会えることを伝える流れになっている。最も有名な詩集である「ハバランケ東西詩集」に収録されており、エピソードも相まってこの歌を知らない者はいないことから気軽に用いられるようになった。なお、アティオ朝時代には天動説が主流であった。
③感謝の挨拶
上の句:mai pekani tu buo se balu kassino
「カッシノ岩に頭を付けねばならない」
下の句:kai temeli so pajo fe ene, kassino
「テメリはあなたの前にいますよ、ご主人」
ちょうど「ありがとう」「どういたしまして」に当たる挨拶である。物を取ってもらったときなどに軽い感謝を伝えるのに用いられる。カッシノ岩とは、ウタシア北部のデルケ海岸にある岩で、貧民を救済した聖人テメリが腰掛けたと伝えられている。そこに感謝を伝えなければならないという相手に対して、あなたを助けたのは私だと冗談めかして返す流れになっている。「カッシノ」が「主人」という意味であることから、「ご主人」とかけたしゃれにもなっている。戯曲「パルパロ」の有名な一節であることから日常的に用いられる。
以上はイサグ・フェ・アマで用いられる挨拶のほんの一例に過ぎない。ウタシアの挨拶をマスターしたい場合は民明書房「ウタシアの挨拶全集」を参考にするとよいだろう。
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