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さざんか(Cada Endefluhna)
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デナスティア語の冠詞(がわからない作者の心の叫び)

 久しぶりにまともな言語記事を投稿した気がします……が私は元気です。Twitterの浮上時間も若干減少しましたが(本当に?)私は元気です。

 さて、今日はデナスティア語の冠詞について考察していきたいと思います。
(え? 自作アポステリオリ言語なのに考察が必要なのか、ですって? なんか日本語や英語と違う感じがしてしまったのだから仕方がないのです。単語はアポステリオリだと散々言っていますが、語法までアポステリオリとは言っていませんし)
 
 
 

1.指示冠詞(と疑問冠詞)

 これは多分あんまり問題のない方です。かなり素直に、直感的に理解していただけるかと思います。

日本語 田語
この cun
その sun
あの tun
どの jir

 
 
 
 上三つは話者や聞き手との距離からどれを使うかが決まります。
 大体日本語と一緒で大丈夫です(語法アポステリオリじゃん)(さっきの発言ダウト)(判断が遅い)

 話者に近いのが「この」、聞き手に近いのが「その」、話者からも聞き手からも遠いのが「あの」です。日本語とは異なり、数による違い(このvsこれらの。日本語も厳密ではないけれど数を区別できるようにはなっているというね……)もありません。the人工言語感。

 ちなみに、すでに言及したことについてもう一度言う時は基本的に「その」を使います。日本語と同じで楽々です。

(と言いつつも日本語と違う部分もあって。話者にとって決して手が届かないと思えるような身分が違いすぎて、死んでいて、遠い場所にいて、人気アイドルすぎて手が届かなくて会えない・触れないものにはtunを「かの」みたいなノリで使います。……が、まあこの辺りは厳密ではないので)

 そして疑問冠詞jir。こちらは日本語の「どの」とか「どちらの」といった言葉に相当する冠詞ですが、例文を見た方が早いですね。
 この二つが同じなのは……まあさっきと同じで手抜きですね。デナスティア語は単数と複数がありますが、指示冠詞については数を一切区別しません。
 
Ja bas sufe jir eke?
Jir eke ja bas sufe?
私はどの(どちらの)水を飲むべき(飲まなければならないの)ですか?
 
 
 ちなみに、jirがついた名詞は英語のwhatのように、たとえ目的語でも文頭に持っていくことができます(もとの位置でも大丈夫です)。
 このようにして倒置した場合でも、以前説明した目的語を示す前置詞alを前につける必要もありません。
 
 
 

2.謎の冠詞ua

 ここまでは前座です。そう。ここからが本番ですよ皆様。

 謎の冠詞というのはどういう……ですって? ひとまず例文を紹介しますね。
 
 
//Omle danet klauntoi//...? Ja sikis ua fota.
りんごが食べられた? 私はある男を知っている。
 
 
 はい。uaが後半の文に出てきましたね。一応日本語に訳すなら「ある」とか「とある」で間違いないのですが(翻訳問題については解決してはいる)。
 これ、見て分かるように不定冠詞ではないのですよ。もし不定冠詞なら前の文の「omle:りんご」にもつけられていないと、おかしいわけです(復唱しているので)(たぶん)。

 ひとつ言えそうなのは、その私が知っている「ある男」は、りんごが食べられたという事実に何らかの関与をしていると私が疑っている、ということですかね。

 ちなみに指示冠詞を使った場合は、以下のようになります。
 
Sun fota tcjalainet cjefe nuinieve at omla.
その男はりんご(複数)と共に(りんごを抱えて)図書館の方へ逃げていた
 
 
 これは男も図書館も話者間で情報が共有されている(もしかしたらアンジャッシュしているかもですが)という前提で話されています。
 あと「cjefe:~の方へ」はまだ辞書登録してないから後で登録しなければ(忘れるフラグ)。

 とにかく。冠詞の有無は名詞の定性に関係ないわけですね。だって定冠詞ないので(さっきのsunとかは指示冠詞です)。さて、とりあえず教科書の会話の練習パートみたいなのを書いてみましょう。
 
 
 
A: Ua omla danot nit jat tana daut klaunteo.
私の店にあったいくつかのりんごが食べられた
B: Omla daut klaunteo!? ...Ah!
りんごが食べられた!? ……あ!
A: Aj?
はい?
B: Ja kvanes ua fota tcjalastoi cjefe nuinieve at omla.
私はりんごを抱えて図書館の方へ逃げていた男を見た。(←意訳)
 
 
 
 まず、uaが不定冠詞ではないのはここまでの議論から明らかです(たぶん)。

 ではuaは何に対して使われているかというと。おそらく、話し手にとっては既知……かつ、話し手は聞き手にとっては未知のものと想定している場合に使われているというのがひとつの可能性です。
 それともうひとつ言えそうなのは「uaをつけた名詞をこれから話題にしたいです」という話者の意志ですね。

 本当にそうなのか……。uaをつけたり消したりしてみればニュアンスの違いを感じ取れるかもしれません。
 
Ua omla danot nit jat tana daut klaunteo.
私の店にあったりんごが食べられた
Omla danot nit jat tana daut klaunteo.
私の店にあったりんごが食べられた
 
 
 ……日本語訳が完全に一致していますね(「あったあるりんご」はおかしいですし)。これはどうしようもないパターン。私の翻訳能力の敗北。
 それに、uaがなくても聞いてほしいから話しているのでしょうし……結局ua is何? 私は母語話者ではないからわかりません(人工言語作者が自作言語でそれを言ったらおしまいよ)

 でも、何と言いますか……。相手の話を受けて、自分が相手と共有したい話題がある時に、その直前に置くのかもしれません。でも、考えれば考えるほどわからなくなてしまいますし……。あ~! わ! か! ら! な! い!

 でも、なんかあった方がいいとか、ないと言葉にできない奇妙な感覚に襲われることがあるので……たぶん、勘とノリで使い分けているんだと思います。
 解決しているか微妙ですが、まあいっか(こういう考察は裏でして、表にはまとめたものを出しなさいという話ですよね……でも表に出してしまいたくなるのだから仕方がない)。
 
 
 

3.これはuaでも違うua

 はい。ここまでuaについて説明してきました(本当に?)が、ここからは質が違うタイプのuaについて説明していきます。

 最初は「誰か」、「何か」のように不特定のuaです。

uafek:誰か uatzi:何か
 
Uafek klaunet omle.誰かがりんごを食べた
Ua fek klaunet omle.ある人がりんごを食べた
 
 
 そして許容のua(というかtuneua)です。

※発音は「とぅねわ」なのですが、これらの単語がデナスティア語らしからぬ見た目をしていることに後から気づいてしまったことは秘密です……。
(ちなみに現在一番母音字が連続する単語は「tuneuaidu:いつも/tunewaidu/」です。過去には「kuaiei:見る(不定詞)/kwaje/」という綴り字上は5母音も続く単語もありましたが、現在は語形が変わったので上記の4文字が最大です)

tuneuafek:誰も tuneuatzi:何も
 
Tuneuafek klaunet omle.誰もがりんごを食べた
Tuneh ua fek klaunet omle.ある人だけがりんごを食べた
 
 
 上記の通り、スペースがあるのとないのではまったく違う意味になってしまいますので、もしデナスティア語を書く機会があるならぜひ気をつけてください。
 
 
 
 というわけで解決したのかしていないのかは不明ですが、デナスティア語の冠詞についてのお話はひとまずここまでです(最後のは冠詞ではありませんでしたが)。

 言語化能力、ほすぃ……。

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