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ンソピハ!
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1カ月間、自分の人工言語で日記書いてみた結果www

記事の言語版の一覧 他言語版があります
原文(日本語)言語不明

こんにちは。日記ヘビーユーザーのンソピハです。
日記だけが私のすべてを受け入れてくれるので、日記と結婚したいです。
そんな日記で、ちょっとした実験をしてみました。

※この文書は漢字かな交じり文で書かれています。
カルデール式ローマ字版
コレシピア語版(漢字かな交じり版公開の数分後公開予定)

目次

実験の概要

6月中、私の主要な日記帳1で使う言語をコレシピア語のみにしました。
この「コレシピア語」が、私の作っている言語です。
日記帳には、日々の思ったこと、考えたこと、感じたことなどをほぼ毎日綴ります。文字数は日によってまちまちで、多いときは数ページ、短い日は一言になります。

私の知り合い向けに「コレシピア語」の定義について軽く説明: <br> この記事で取り上げる「コレシピア語」は、爆砕コレシピア語(狭義)の後継「兎角コレシピア語」のこと。以前の定義では、「コレシピア語」は爆砕コレシピア語の前身となった言語「第1期コレシピア語」のことだったが、最近の定義では、第1期コレシピア語のすべての後継言語の総称を「コレシピア語」としている。なお、兎角コレシピア語は広義の爆砕コレシピア語に含まれる。

実験の目的

昔から、自分の作った言語で日記を書いてみたかったんですよね~
日本語で日記を書くときも、「なんちゃって仮名」っていう自作の架空文字を使ってはいます。
でもやっぱり、文字だけじゃなくて言語も架空だったらなお最高ですよね!
最高だと思う理由は、次の通りです:

  1. かっこいいし面白いから。
  2. 他の人に読まれる心配がないから。(暗号的な。)
  3. 分かりやすく自分らしさを示せるシンボルが欲しかったから。

実験前の不安

次の2つの点が心配でした:

  1. 第二言語だと日記に悩みや考え事を綴るのが大変になりそう。
  2. なんちゃって仮名を使う機会が激減しそう。

それぞれの不安について詳しく説明します。

  • 第二言語で考え事するのって大変そう
    第一言語で物事について考えるときは、文法や語彙のことなど一切気にしなくても、言葉のほうから勝手にすらすら出てきてくれることが多いですよね。
    第二言語ではそうは行きません。「この文法でいいのかな……」とか「これのことなんて言うんだろう……」とか、いろいろ考えてしまって、肝心の議題を忘れてしまうこともあると思います。
    私は、日記で自分の考えや悩みを整理することが多かったので、言語の形式にとらわれて考え事に集中できなくなるのが心配でした。

  • なんちゃって仮名を使う機会が激減しそう
    自分の作った架空文字に愛着が湧いちゃったんですよね。
    なんちゃって仮名の字母の中にはそもそも使用頻度のかなり低いものもあるので、使わないでいるうちにいくつかの字を忘れてしまったりしないかと不安でした。

不安を打開したきっかけ

これらの不安にもかかわらず、“わざわざ”日記の言語を変えるとかいうめちゃくちゃめんどくさいことをしたのには、もちろんワケがあります。
日本語教育の本で異文化コミュニケーションについて読んだことがきっかけです。
文化を学ぶにしろ、(文化の一部である)言語を学ぶにしろ、自分を変えていこうという思いがなければ、習得は難しいと思います。異文化適応には、往々にしてめちゃくちゃストレスがかかります。マナーも倫理も道徳も、国によって違うことがあるのですから。
そういう、自分の変化を成長や学びの過程と捉えるやり方が、すごく魅力的に思えたんですよね。そこで、自分もそれを実践してみようと思いました。
かねがね自分の人工言語が流暢に話せるようになりたかったので、真っ先に、コレシピア語で日記を書くことを思いついたというわけです。
コレシピア語を使っているうちに、日本語脳からコレシピア語脳になったら楽しいなーとか考えていました。

実験開始時のコレシピア語の状態

語根の数はたぶん150前後だったと思います。
コレシピア語はミニマル言語を志向していたわけではありません。しかし、私が以前トキポナをやっていたので、その影響を受けて、そんな感じになっていました。
数は少ないものの、一つ一つの形態素が便利なので、表現力自体はそこそこありました。日本語の辞書から150単語をランダムに抽出して文を作るのとはワケが違います。

文法や音韻はすでに一通り安定していました。
固有の文字はなく、主にラテン文字で表記していました。

実験前の不安は当たったか

「第二言語で考え事するのって大変そう」という懸念は、見事に当たりました。自分の思ったことを思ったように言えないのは、なかなかにストレスです(笑)。
といっても、このようなストレスは私にとって目新しいものではありませんでした。2021年から2023年にかけて、トキポナでよく日記を付けていたんです。
そうやって私はトキポナが話せるようになったので、コレシピア語もそのようになればいいなぁと思っていました。

「なんちゃって仮名を忘れそう」という懸念は、全く当たりませんでした。たしかに、なんちゃって仮名を使う機会が全くない日のほうが多かったですが、メモでササッと書くことはありました。また、7月になって、なんちゃって仮名の日記での使用を再開しましたが、以前と変わらず楽にすらすら書けます。1カ月くらいで忘れることはないみたいです。

実験結果

中間言語で思考する煩わしさを回避するために、自然と次のような変化が起きました:

  • 文字数の減少。
    1ページ以上書いた日が1カ月で4日しかありませんでした。
    普段自分がどのくらい日記を書いているかしっかり調べたことはないのですが、感覚的にはやや少なめな気がします。

  • 日記以外の媒体の利用。
    Cosenseなど、日記以外の媒体で考え事を整理することが増えました。

あまりにも煩わしくて、母語である日本語の使い勝手の良さを心底痛感させられました。
世界には消滅の危機にある言語がたくさんあります。そういう少数言語の母語話者はみんなこんな思いをしながら第二言語を話しているのかと思うと、胸が痛くなりました。

一方、コレシピア語での作文能力が上がった実感はあまりありません。
これはちょっと意外な結果でした。
トキポナは日記での作文を通じて話せるようになったので、コレシピア語も同じように上手くなるだろうと思っていたんです。
1カ月という期間が短すぎるのかもしれません。また、トキポナとは違って、インプット(お話を読んだり音楽を聞いたり)がなかったことも理由として考えられます。
とはいえ、1カ月もコレシピア語で日記をつけ続けることができたので、「コレシピア語は実用に足る言語」と自信がもてるようになりました。

コレシピア語自体の変化も、意外とあまりありませんでした。
もともとミニマル言語の影響が強いこともあり、私は造語に慎重になりがちなのですが、実験期間中もその悪癖が出てしまって、最終的に造語されたのは十数語程度でした。中旬からは、辞書の編集もしていません。
文法や音韻もほとんど変わりませんでした。
文字については、崩揃(くずれぞろえ)という、私が昔作った架空数字に由来する体系を使うようになりました。イメージとしてはターナ文字みたいな感じです。

まとめ

期間が1カ月と短いため、なかなか判断に困る結果となりました。
7月以降は、再び日本語で日記をつけています。自作言語の作文の練習もいいですが、考え事に使う言語に制限がかけられるのはなかなかしんどいので、再開しようとは思いません。
もしかしたら、もっと長期間続けることで作文能力の向上がより顕著になるかもしれません。しかし、自由な考え事がしづらい期間が1カ月以上続くのはキツいです。日記は私の思考にとって基礎インフラなので、それが不十分になると、仕事(……といってもアルバイトですが)や勉強にも支障が出ます。真剣に困ります。
今回の実験がうまくいったら、英語も同じように日記を使って学習しようかなと思っていたのですが、ストレスのほうが大きそうなので、やめにします。

これからは、William S. Annisさんの「Diary as a Conlang Creation Tool」にならって、天気とか体調の話とかを日記の端に第二言語で毎日2文くらい書くようにしようと思います。


  1. 私は複数の日記帳を持っている。現在最もよく使う(毎日使う)のはルーズリーフだ。この記事で言う「日記」は、今使っているルーズリーフの日記帳およびその前身を指している。 

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