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Fafs F. Sashimi
Fafs F. Sashimi

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交換性誤謬とヴォルシ主義者

レシェール・ヴェンタフ(レヴェン)の息子であるレシェール・イスナシュテイユ(レイス)は、レヴェン主義に影響を受けた社会哲学者の一人である。
レイスの積年のライバルは常にフィシャ・グスタフ・ヴェルガナーデャであった。リパラオネ民族主義地下組織「エステシアス」のメンバーであったヴェルガナーデャは、ピリフィアー歴1968年5月に、「リパラオネ人であるにも関わらず、真理であるリパラオネ教の法を否定し、アレフィスを冒涜した不信心者」としてレヴェンの墓を部下に爆破させた。その縁でレイスは個人的にも、そして思想的にもライバルとなった。

時は変わって、第三政変のときが来ると両者の対立は激化し、幾度となく論戦を交わすようになる。

2020年11月2日、リパラオネ民族自決党の党首として、テレビ討論会に臨んだヴェルガナーデャは " cilci g'es nistakertni'ar, ... "(シルシとはケートニアーかどうかということで……)と発言し、これは大いに世論を燃え上がらせた。

シルシの定義を " nistakertniar " もしくは " nistanertni'ar " とするのは、非常にセンシティブな問題に触れることになる。
リパライン語の " nista- " という接辞は、付いた単語とその対義語をまとめて表すことが出来る。例えば " klieo "(来ること)という単語に " nista- " を付けた " nistaklieo " という単語は「来ることと行くこと」を表し、つまり「往来、行き来」を表す。リパライン語では対義語のどちらを取って " nista- " による派生語にするかという明確な基準はない。このため、派生語の元になった語根は、その対立する関係の基礎であるということになる。
これの何が問題なのかと言うと " nistakertniar " がシルシの定義だと言ってしまうのは「ネートニアーの意味はケートニアーを軸に定義される」と言っているようになってしまう点だ。こうなってしまうとヴォルシ主義ということになってしまう。故にシルシの定義は原語詳解辞書でも " cilci es falvit faller kertni'ar adit nertniar, tektani'ar, et. "「シルシとはケートニアー、ネートニアー、テクタニアーなどであるうちの種類のこと」という " nista- " を使わない文章になっている。

レイスが先のヴェルガナーデャの発言に噛み付いたのは、上記のようなファイクレオネでの常識的な前提のみの話では無かった。それはレイスが提唱した交換性誤謬 inferlnen ixvarlunsarl )という概念に関連するようなものだったのだ。

交換性誤謬はレイスの独特の社会哲学的な概念であり、「交換できることを前提に対立を立て、そのそれぞれの固有性を認めない(交換可能とする)素朴な抽象化」という概念である。レイスはヴォルシ問題におけるケートニアーとネートニアーの対立であったり、ファイクレオネの民族問題におけるリパラオネ人とラネーメ人の対立はそれぞれに交換性誤謬を適用した結果であると捉える。

ヴェルガナーデャの先の発言も交換性誤謬に当てはめて考えると、その構造的な問題が分かる、とレイスは主張する。
シルシを " nistakertni'ar " と言ってしまうことは " nertniar " を " kertni'ar " の変化として交換できる存在であるとするということである。それは " nertniar " という存在はそれ自体として自身を持っていないして、中身のない空白として表現することである。そういった言い方は " nertniarnascho "「ネートニアーらしさ」の否定となり、強いヴォルシ主義的な発言となってしまう。
こうしたルートを辿るのは、人間の歴史一般に普遍主義 paskadalera )を無視した圧政機構 clilarcyeustu'd cela )的政策を推進するという交換性誤謬の道筋を追っているという。

レイスがこのヴェルガナーデャの発言に噛み付いたのは、レヴェン主義が認める圧政機構の成立に構造的に与しているという実際の例、生の過程として挙げられたためであった。この論争の結果は、結局のところ有耶無耶な形で終わるのだが、この一議論がしっかりとリパラオネ思想史に関係することははっきりしている。また、レヴェン主義者のヴォルシへの考え方の一例として挙げることが出来る。

彼らのイェスカ主義者やヴォルシ主義者との違いは、生の議論の場を大切にすることである。故に政党としてレヴェン統一党が生まれた際にも、前身かつ最高決定機関たるレヴェン統一大会がその統制を担った。レヴェン統一大会は実質的なレヴェン主義に関する学会組織であり、学術的発表と議論の場であった。そういった生の議論を大切にする土壌の下で、レイスはその素養を育ててきた。ヴェルガナーデャなどヴォルシ主義者との議論のスキームがイェスカ主義者と大きく異なるのは、こういった背景に基づくものなのだろう。
イデオロギーとして実際の議論の場に対応するイェスカ主義と、実際の議論の場に応じて可変するレヴェン主義の違いが、ここに出ているのである。

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