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Fafs F. Sashimi
Fafs F. Sashimi

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思想史と市井の言葉

 市井の言葉として定着した哲学/思想の用語や言い回しというのは結構あるように思える。

 例えば、私が住んでいる国だと哲学の「扌」の字にすら触れてないに違いない連中が馬鹿の一つ覚えのように「神は死んだ」と繰り返すのはよく見る光景である。そんなに神を殺したいならゴットイーターでもやっててくれ、クソ面白いぞ。私が保証する。
 リパライン語を話す人達の間でもそういった表現はあるのではないだろうか?
 今回は、そんな哲学などの用語に由来する市井でも使われるリパライン語の言い回しを紹介していこう。

フェンテショレー

 リパライン語で、一番有名な単語はフェンテショレーfentexoler)なのかもしれない。「いせにほ」では「敵」を形容する単語として登場するため、大分歪んだ解釈をされているが、それが市民的な解釈であるというのは間違いではない。
 元々フェンテショレーの語幹はショル(xol)なのだが、この単語の解釈は昔から問題とされてきたし、現代ファイクレオネにおいては様々な立場がこの言葉を違う仕方で理解している。それに「反する者」(fente-xol-er)という意味になってくるとさらに多様な解釈があるわけだが、ユエスレオネ革命中~直後辺りだとやはり「敵」を表す言葉として理解するのが一般的だ。
 しかし、歴史は変わっていくもので、第三政変などの時期に差し掛かってくるとフェンテショレーは「敵」「味方」という概念を超越していくようになっていく。政治的な言葉としての忌避だけではなく、イェスカ主義の再解釈の中でより中立的な「人間」としての姿を見出されていく。
 その変化は、一応イェスカが元々望んでいた「革命」(xol)解釈に歩み寄ってはいるのであった。

ノデルム

「ヴェルテールの無限戦争は次のように簡単に説明できるだろう。つまり、人々は常に叩くものを探している、ということである」

 ノデルム(nodelm)とは、ヴェルテール・シュテック・レヴァーニの理論を元とする哲学であるところのヴェルテール哲学の用語「無限戦争」を示す単語だ。これは簡単に言うと、人間が生まれた時から与えられている『宿命』(kirxniarx)を実現するために、それぞれの人間が異なる『宿命』の元に相克する――ということを表している。この世には、数多くの人間が居て、その人間ごとに果たすべき『宿命』を持っている。しかし、それを果たそうとすると『宿命』同士が衝突して、紛争に至ってしまうのである。しかし、ヴェルテール哲学において、人間は本質的には殺害できないとするため、残った『刻印』(uluvo)に対して人間たちは永遠に闘争を続けていく。これが「無限戦争」である。ヴェルテールは、それを防ぐためのシステムを提案し、それはファイクレオネ近代の社会の基礎を作り上げていった。
 一方で、この単語は「なかなか終わらない戦い」「延長戦」を示す俗語として一般的には用いられている。元々、語の構成が「限りない争い」(nodel elm)の合成語なので文字通り取ると確かにそうなのだが、リパライン語の上では哲学を少し皮肉ったような態度で使われることが多い。
 どこぞで10ヶ月のメンテをしていたソシャゲーがあったらしいが、もしユエスレオネにそのゲームのプレイヤーが居れば "fqa es parconala'd nodelm da!"「これは運営の無限戦争だ!」ということだろう。

スリラースュエウストゥド・セラ

 スリラースュエウストゥド・セラ(clilarcyeustu'd cela)とは、レシェール・ヴェンタフの議論に基づく法哲学――レヴェン主義の用語としてでてくる「圧政機構」という術語を意味する表現である。この単語も割と自由に使われている印象がある。
 何か上から自分の気に入らない指示があったときに、それを茶化して「圧制機構だ」(ers clilarcyeustu'd cela!)というのは、ユエスレオネの若者にありがちな言葉遣いだ。これは別に第三政変学生運動に関わっていないような若者でも言うような普遍的な言い方である。
 「圧制機構」という言葉自体、出てきてから数十年経つ現代においては、その本義は忘れられて、フェンテショレーと同じように、分かりやすい形で「敵」を指すような表現になったのだった。それを見ていたレヴェン統一党の議員たちはどう思ったのだろう。多分、何も思わなかったのだろう。彼らにとって最優先だったのは森林資源の消費であったのだから。

まとめ

 地球とは異なる形で、哲学や思想の用語が消費されているのをこの記事では紹介した。少し違う受け取り方をされていたのだとしても、人々の中に膾炙されるあり方は、その考え方が少しでも共感を受けて興味を持たれていたことを示す傍証となる。
 すなわち、時代がどのような考え方に動かされてきたのかを明確に写して取っているのが、このような言語文化に反映されているのだ。そう考えると少しワクワクするというか、興味深いと思わざるをえないところがある。
 他にも哲学に由来する表現はあるが、今回はこんなところにしておこう。
 皆さんの言語や文化においても、哲学的・思想的な表現の中で人口に膾炙する表現があれば是非紹介してもらえると助かる。

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