今回は、今まで曖昧にしていたところについてザクザク深々と掘り下げていく回です。
具体的には条件法と分詞の使い分けですね。それでは早速本題に入っていきたいと思います。
おさらいその1:条件法
条件法とは、その名の通り条件節などで使われる動詞がとる形です。
Fan ja jois "sekcjilh", ja jaus "sekcjilh".
もし私が「セクシー」と言えば、私は「セクシー」と言う
語末がやたら散らかっているのは、デナスティア語が語末の開音節で母音の長短を原則区別しないせいです(あと語中の母音連続でも原則短母音の連続しか認められていません)。
それはさておき。「fan:もし」という接続詞で導かれている「jois」という語形が条件法です。一方、節の頭に「fan」が置かれていない後半の文では「jaus」という語形が使われています。
これらはどちらも、「jaue:言う」という動詞の一人称単数現在形です。違うのは、iが入っている方が条件法で、入っていない方が直接法という点です(デナスティア語の文法用語はわりとフランス語かぶれかもしれない?)。
そして、この条件法を作ったばかりの頃(デナスティア語の歴史ではなく、メタ視点で私がデナスティア語を作っているリアルヒストリーを見た時)は、この法の用途はもっぱら「もし~ならば」という条件節と「もし~できたなら!」という強い願望(どちらも「もし~ならば」が入っている)に限定されていました。文字通り条件法だったわけです。
しかし、この条件法はその勢力範囲を拡大していきます。最初は以下のような文に手を伸ばしました。
Nit ja jois "sekcjilh", ja jaus "sekcjilh".
私が「セクシー」と言う時、私は「セクシー」と言う
はい。またしても同じような文が出てきましたね……。
この「nit:~にて、~の時、~の場所で」という単語(前置詞としても使われますが、今回は接続詞として用いられています)に導かれた節でもまた、条件法が用いられるようになりました。
まあ「~な時、」という意味では、これも一種の条件節と捉えられるのでここまではまあたぶん理解できるかな、と思います。しかし問題はここからです。
おさらいその2:条件法その2
章を分けたのに同じようなタイトルなのは私のタイトル生成能力が低いことを示しているのかもしれません……タイトルセンスください。
とはいえ、章を区切ったのにはきちんと意味があるのでそこは信頼していただいて大丈夫です!
何と言うか「これ条件?」と言いたくなるのがちょくちょく出てくると言いますか。語族の祖語を話している集団が故地を離れた感じになってくると言いますか(伝われ)。
ひとまず、以下の文を見てください。
Sun tana dat asoitoi.
その店は大きい
はい。まずここには条件法なんて一切出ていませんからね! 「asoitoi:大きいもの」という形容詞の準体法と呼ばれる形が用いられています(あと「sun:その」と「tana:店」も使っていますが)。
で、次は比較文です(これも条件法は入っていませんが、話の流れ上必要なのです……)。
Sun tana dat asoitoi al jao.
その店は私より大きい
……まあ、当然ですよね。小人のお店でないなら、人間用のお店なら人間よりは大きいはずです(この文を喋っているのはドラゴンなんかではありません)。
一応解説しておくと、「al」がここでは比較対象を導く前置詞になっていて、さらに直後の代名詞を対格にする(対格がある場合)ので「jao:私」という単語が対格形で続いています。
ともかく、上の文は通常の比較文です。しかし「あなたが思うより健康です」というあの有名なフレーズのように、「Aが~するよりも…である」という文を言いたい時もあるはず。
で、そのような場合デナスティア語だとどうなるかというのがこちら。
Sun tana dat asoitoi al ja uapoines.
その店は私が思っていたより大きい
なんか長い単語が出てきました。「uapoines:『思う』の条件法一人称単数過去形」です。
※ちなみに、ここの「al」は単語を導く前置詞ではなく文を導く接続詞として使われているので、直後の代名詞を対格形にはしません。ムズカシイネ!
上記の文は少なくとも一見して条件に見えないタイプです。けれど、一応「私が思っている」という条件とも取れるので……まあいいでしょう。しかし、問題はここからです。
Ja kvaines juo.
私は君を見ていた
いきなり知らない人からこんなことを言われたら怖いですね鳥肌物ですね。
……と冗談はさておき、今回の長い単語は「kvaines:『見る』の条件法一人称単数過去形」です。
で、私が伏線を頑張って張りまくったので皆様さすがにお気づきかと思いますが(気づいていない方がいらっしゃったらゴメンナサイ)……これ、どこにも条件の要素を含んでいません、よね?
しかし。ここに条件法の用法が拡張したのには一応理由があって。一言でいえば「継続性」です。
「Aならば」とか「Aのとき」といった場合、その条件がなんとなく時間的な幅を持っている気がしてしまうのですよね(私の個人的な感覚として)。そういうわけで、条件法は「時間に幅がある」場合全般の形として用いられるようになりました。
他にも本題との関連度は若干低めですが「AしたりBしたり」といった、複数の動作を並列する場合にも「AとBそれぞれを交互にやるなら時間の幅あるのでは?」といったノリで条件法を使うようになりました。
しかし、問題はここからです(再び)。
ドアが「開いている」vs「開きつつある」
上で、私は条件法の用法の原則を「時間的幅を持った動作」と説明しました。しかし、これが一筋縄ではいかないのです。
例えばここに「開いている」と「開きつつある」という日本語の述語文が二つあったとします。
では、「auke:開く」の条件法(三人称単数現在)である「aukait」はどちらの意味を表すべきでしょうか?
……と言ってもちょっと難しいので。とりあえず「食べている」と「食べつつある」と「食べてある」のどれが「klois:『食べる』の条件法一人称単数現在」にふさわしいかという方から考えてみたいと思います。
こちらの場合、「食べる」という動作を時間的幅を持って行っているのは「食べている」と「食べつつある」ですね。
「食べてある」は過去のニュアンスにもとれるので、ためしに過去形「kloines」も試してみることにしましょう。「食べていた」、「食べつつあった」、「食べてある」、「食べてあった(これは大過去感ある)」……。
たぶん、「kloines」という語形でも前ふたつ(食べていた、食べつつあった)しか表せないのです。食べてあるは「dat klauntoi」のように、「da:~である、ある」を使った受動態で表現することになります(「パンが食べてある」といった時、主語のパンは食べられた側なので)。
そういうわけで、食べてあったは主動詞のdaを過去形にして「danet klauntoi」です。どちらにせよ、条件法は使えません。
とはいえ「食べる」については「~ている」も「~つつある」も条件法が使えたわけですが。
同様のことが「開く」にも言えるのかと言われると、これは別です。
というのも、それぞれの意味を考えてみていただきたいのですが。まとめると以下のようになるかと思われます。
具体的には、動作が起こったタイミングがいつなのか、という話です。
食べる | 開く | |
---|---|---|
φ | 現在 | 現在 |
ている | 現在 | 過去 |
つつある | 現在 | 現在 |
てある | 過去 | (非文) |
「ある」も「いる」も現在形なのでは、とお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、これは別に動詞の形について言及しているわけではなくて。その形で動詞が使われると動作がいつ起こったことになるか、という点について問題にしています。
つまり、「開いている」だと、すでにドアが「開く」という動作は過去に終わっているという意味で「過去」にしてあります。
ここから、日本語の継続を示す「ている」という表現は、その動作が起こったと解釈される時間が動詞ごとに変わってくるということがわかります。
では、これがデナスティア語の条件法を用いるのにどう問題になってくるか、という本題に戻ることにしましょう(日本語の「ている」のお話はそれはそれで面白いので興味のある方はぜひぜひ調べてみてね☆彡)(☆ミから変えてみた。読み方は「彡:セン」です。試してみてね!)。
何が問題かというと「ドアが開いている」をどう表現するか、ということです。いや、ドアが開いているかどうかは私の興味の中心ではないのでどうでもいいのですが(こら)。しかし、例えば「服を着ている」という方はちょっと問題だったりします(私の注目度的に)。
着る | |
---|---|
φ | 現在 |
ている | 過去 |
つつある | 現在 |
てある | (非文) |
まあ、動作の起こった時間はこんな感じです。「開く」と同じですね? で、まずは念のためさっきの二つの動詞をデナスティア語の三人称単数に翻訳しておきましょう。
食べる | 開く | |
---|---|---|
φ | klaut | auket |
ている | kloit | dat aukastoi |
つつある | kloit | aukait |
てある | dat klauntoi | (非文) |
ひとつ注意なのは、非文と書いてあるのは、対応する日本語がないからで、翻訳のしようがないからです(私もどう訳すべきかあれなので)。
で、「着る」は「開く」と同じ時間で使われる動詞(かつ他動詞)なので、これを参考にすると以下のようになります。
着る | |
---|---|
φ | meset |
ている | dat mesast(mesastoi) |
つつある | mesait |
てある | (非文) |
……まあ、上のものを機械的に当てはめるとこうなるのです。しかし! 私はこの結果がものすごく不服です。
というのも、「着つつある」というあまり使わない方が「着ている」というよく使う語形よりもシンプルで、かつ短いからです。
Cja dat mesast mitia kmeij.
Cja dat mesastoi al mitia kmeij.
彼(女)は美しい服を着ている
Al mitia kmeij, cja dat mesastoi.
美しい服は彼(女)が着ているものだ
Al mitia kmeij, cja dat mesast.
美しい服は彼(女)が着ている
Cja mesait mitia kmeij.
彼(女)は美しい服を着つつある
Al mitia kmeij, cja mesait.
美しい服は彼(女)が着つつある
たしかに、日本語も「着:て:いる」みたいな分割がありえますが、ちょっと長いな~と思ってしまったのですよ。
日本語だって「着つつある」の方が長いのですし。デナスティア語はその逆なのがもう本当にTwitterだったら「ノシ( >д<)ノシバンバン」している案件なのです(少なくとも私にとっては)。
でも、文法的にはこっちの方が綺麗だから困ってしまう。過去記事にも「進行中なら条件法(仮)」と書きましたし。
さらにいえば、動作が継続しているであろう「愛して(い)ます」とか「白い花を持っている」とかもデナスティア語では、
Ja lufes juo.
私はあなたを愛する(直訳)
Ja jaos bantia fluhneh.
私は白い花を持つ(直訳)
といったように、直接法を使って表現したりするので……。このあたりは継続しているのに条件法ではないとか例外があったり。まあ故地を出て後から拡張した地域(比喩)だから仕方がないね!
デナスティア語は自然言語風(語彙が)アポステリオリ人工言語ですが、文法は初心者が適当に組み立てたものをベースにしているのでカオスなのです。
そもそも、カオスでない文法を組み立てるのも大変そうですし、日本語の「ている」も動作の時間バラバラで自然言語もカオスだし、いいよね。うん。
でも、これだけは言わせてください。
うーん! 悩ましい!
新しい順のコメント(2)
シャレイア語の経過相と継続相の違いみたいな話だな〜と思いました。
そうですね。そして今思えば無標で祠語の継続相にあたる意味を示す動詞のグループを作れば色々解決する気がしてきました……。