本当にお久しぶりです
皆様元気にしていらっしゃいましたでしょうか。というかはじめましての方もいらっしゃるかと思いますがさざんかと申します。一番作っている言語はデナスティア語ですが、最近はとある共同創作機構でフェルーリエ語という言語を作っております。
と、かしこまった自己紹介はこれくらいにして、最近はやっている皆様の人工言語創作論を読ませていただいて、遅ればせながら「乗るしかないこのビッグウェーブに!」と思って筆を取った次第です。
もちろん、ここで書いていることは私個人の人工言語創作論でしかありませんし、一人一人ここで私が書いたのとは違う創作論をお持ちだと思います(でも、それだからこそ創作は面白いというの、ありません?)。
以前のノリを忘れてしまったので文体がちょっと変わっている気がしなくもないですが、いちいち昔の文体を思い出して書いていたらいつまで経っても記事が公開できないので、さくさくっと書いていくことにします。
ほんぺん(?)
というわけで早速本編に入っていこうと思います。まず、私がなぜ言語を作るようになったのかというところから話していきますね。
(と見せかけて……。これは自分語りしていいってことですよね……っ!)
創作者さざんかのあゆみ
私が覚えている一番はじめの創作は(もしかしたらそれよりずっと前にも何か創作していたのかもですが、記憶にある中で、です)、小学校低学年の頃に描いていた架空の生き物たちの絵でした。もちろん、名前は日本語とか、当時の日本語母語話者さざんか並感ある命名ばかりでした。
そして小学校中学年だか高学年だかになった頃、私ははじめて文字を作りました。はい。言語ではなく文字ですが作ってました。完全日本語準拠のローマ字置き換え文字っぽい何かで、今でも一部の子音を除いてある程度覚えています(おそらく、当時「かいけつゾロリ」シリーズに出てきた宇宙人の文字という設定に影響されたのだと思います)。その後もひらがなを一筆書きした文字やら、ひらがなをカクカクさせた文字やらを作ったリするなどしていました。
その後はしばらく創作しない期間が続き、高校生の時に「RPGツクール」シリーズの作品を手に取るまではだらだらとゲームばかりしていました(結局ゲームばかりじゃねぇか! というそこのあなた。私のTwitterを見ていれば何のゲームかわかるかもしれませんが、創作ではないので割愛します)(←何言ってるのこのさざんか)。妄想もしていましたが、手を動かしていなかったのです……!
そうして迎えた高校3年生の4月。文系だったさざんかは、理科の授業が2年生までの復習ばかりになっていました。そしてその頃、同じく思っていたのです。「さざんかさん。妄想しているこの子たちの国があるのは地球じゃないのに、なんで日本語や英語を話すと思っていたの?」と……!(ひとりの人工言語制作者誕生の瞬間です! わーいぱちぱち!)。こうして生まれたのが「デナティシア語」でした(今の「デナスティア語」です)。
言語制作者さざんかのあゆみ
そうしてひとつの人工言語、ひとりの人工言語作者が産声を上げた(言い方)のですが、当時のさざんかは言語学ど素人人間でした。当然、「デナティシア語」もそんな初心者言語作者が作った言語の例にもれず、日本語と英語のちゃんぽん言語だったのです……!
言語紹介はまた今度にしなさい。
はい。というわけで司会のさざんか(?)に叱られたので「デナティシア語」の紹介は今度にしておきますね。そもそも、今回は人工言語創作論を語る回なので……。というわけで、昔のさざんかと今のさざんかの比較人工言語創作論学(???)をしていこうと思います。
どうやって言語を作るか
というわけでまずは昔のさざんかから。
昔のさざんか「この世界日本ないから日本語存在しないのでは?」→「よし作るぞ!」→「文法たのしー! もっと造語造語っ!」
……はい。これが昔のさざんかのノリでした(これはちょっと誇張されているので実際はもう少し大人しいです)。それでは、今のさざんかの言語創作論に入っていきますね。
本当の本当にほんぺん
というわけで、ここからふぁいん……ではなく、ここからは私が言語を作ってきた過去を思い返したり、皆様の人工言語創作論の記事を拝読させていただいたりして「あっ私はこういうところ大切にしているんだな」と思ったところを挙げていこうかな、と思います。
さざんかが言語を作る理由
私が言語を作る理由となりうるものは、大きく分けるとふたつあります。創作のフレーバーとしての言語と、あとはネタ言語です。
先にそこまで哲学があるわけではないネタ言語の方について説明しますと、こちらは言語制作者にありがちな(盛大な風評被害)その場で思いついた言語を三日ぐらい作ってポイしてしまうタイプの言語で、Twitter上で昔上げた「Tu語」とかが当てはまります。ただし、ほとんどはネット上に上げるよりも前に消えてしまうのでたぶん皆様の目に触れることはほぼほぼないと思います……(ネット上に上げるまでほぼ行けない足の早い言語たちです)。
そして本題のもうひとつの方、「創作のフレーバーとしての言語」です。こちらの方がネット公開率高めですね。上述のデナスティア語とフェルーリエ語はどちらもこの「創作のフレーバーとしての言語」に当てはまります。
フェルーリエ語はさておきデナスティア語はもはや「創作のフレーバーとしての言語」ではないのでは?
はい。そのせいろんはわたしにものすごくききます。たしかにフェルーリエ語には「フェルーリエ王国の公用語」という設定があり、フェルーリエ王国についてもこのように設定がきちんと公開されているのですが、デナスティア語は「デナスティア王国の言語」ぐらいの設定しか公開されていないから、やっぱりそう思う方はたくさんいらっしゃるかもしれません(それ以上に「えっどっちもしらないなにそれおいしいの?」とお思いの方のがたくさんいらっしゃると思いますが)。
ですが、デナスティア語の根幹には先ほどお話ししたように「この国の子たち日本語話してるのおかしくない?」があるわけです。表面上は言語が本体のように見えてしまうかもしれませんが、いつかその子たちがあっちこっち活躍する小説を書くのが夢だったりします(小説自体は全編日本語で書きます。一部魔法名とか人名とかに使うぐらいで。コスパ悪すぎる)。
……と、長々と書いてきましたが、ここからは言語まわりに絞った創作論を書いていきますね。
ここからが本当のほんぺん(←「本当の本当にほんぺん」とは)
というわけで、さざんかが言語を作る時に意識していることについて書いていきますね。
① まずはコンセプトを決めます
これがなければ始まりません。「何のために言語を作るのか」、言語の背景設定を考えないと作れないという、我ながらなかなかに難儀な性格です。簡単に言えば「この言語はどんな気候の場所で、どんな人たちが話しているんだろう」というところから始まります。そして、文法なども大まかな方向性を決めたりします。
もちろん、これには「背景設定など存在しません! 文法は~」となる場合もあり、ネタ言語に繋がったりします。ですが、ネタ言語はある程度作ったらそこで満足してしまうので、ネット上(以下略
② コンセプトを明確化していきます
そして、そのコンセプトを明確化していくことで、徐々に言語の輪郭が浮かび上がってきます。「ヨーロッパに寄せたい」とか「アフリカンな名詞性を使ってみたい」とか「貫通接辞やりたい」、「有声阻害音を消して開音節でポリネシア風に」……みたいに、やりたいことを詰め込みます。
同時に大切にしていることは「詰め込み過ぎないこと」です。例えば「ポリネシアンな開音節言語」で「ゲルマン的な閉音節言語」とか、二つを同時に入れると意味不明になってしまいますよね。というわけで、何がおいしいところかを明確化させるために、「この要素は別の言語作った時に入れたらいいや」と性質は取捨選択します。
全部をひとつの言語に入れすぎたらそれこそ「ガラリ」の温床になってしまいますからね。というわけで、私はなるべく大規模なガラリを発生させないためにそういったところを意識しています。
(と言いつつ、デナスティア語の辞書をネット上でちまちま書き始めるまでとその後では、まだネット上に上げていない頃にあった語彙の多くが入れ替わってしまっているのですが。二行で矛盾とは私のことです!!!(自慢すな))
③ とにかく造語します
……と言いつつも、私の言語の中でここまで行ったのはデナスティア語ただひとつだけなのですが。
まあ、コンセプトが定まったらあとはそれを飾るように造語していく以外にやることがないんですよね。
言語創作者さざんかあるある
というわけでここまで長々と喋って書いてきましたが、まあ私はどちらかというと自然言語風の人工言語を作るのが好きみたいなんですよね。特にヨーロッパ風言語みたく動詞が人称と数で活用しがちなのは、私の中の好きな設定発表ドラゴンに言わせるなら「アポステリオリとかが好き好き大好き」だからなんですよね(ヨーロッパなファンタジー世界大好きです)。
一方(?)、そうした言語を作ってもあまり覚えるのに労力はかけたくないと怠けてしまうのが人間の性というもの。もちろんさざんかも例外ではありません。というわけで生まれたのが(特にデナスティア語の)ダジャレすぎる語彙たちでした。
例えば「okil:努力」が「起きる」から来ていたり……まあ、日本語準拠だったりするんですよね、メタ的にはわりと。フェルーリエ語には少ないですが、それにはストラヴァン語と同系統の言語という設定があるためだったりします(一部メンバーのみが見られるページから語根を取ってきたりしています)。
たぶん言語制作がメインではないからメタい語彙がたくさん出ているのだと思いますが、それこそが言語制作者さざんかがさざんかたる理由なのだろうな、というのが正直な感想です。十人がメタ的な由来から語彙を十語生成するとしたら、私と完全にかぶる人はいないと思うので。
まとめ
というわけで以上、さざんかの人工言語創作論でした。
皆様がかなり真面目に書いている中、わりとふざけてしまった自覚はあるのですがたぶん私はこういう人間なのでどうしようもありませんごめんなさいとしか言えませんね……。
と、自虐はこれくらいにして。また気が向いたら筆をとるかもしれません。今度は何か言語の文法やら音韻やらについて語れたらな~と思っています。
ここまで長い文章を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!
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面白い記事!
ありがとうございます〜!