はじめに
皆様お久しぶりです。さざんかです。
いつからmigdalの記事書いてなかったかな……みたいになっております。見返したら一番最近書いた記事が2024年のアドカレので、私自身が作者として関わっている言語だけでみれば半年以上も前のこの記事になってしまうぐらい投稿していなかったみたいです……。
というのはさておき、今日は私がはやりものにほいほい飛びつくミーハー人工言語制作者な一面もあるせいでもあるのですが……2025年は2月最終日(もう2月が終わったという恐怖)にテレビから流れてきた「民衆の歌」のデナスティア語訳をしてみたので、それを題材に文法やら何やらを解説していこうと思います。
ようつべにはリパライン語訳もありますし、曲の長さもそこそことはいえ、繰り返しパートがわりとあって実質訳す部分は少ないので、各言語ごとの対訳とかできるようになるので皆様もぜひ……! というわけで本編いきましょう!
ほんやく
「民衆の歌」 Flehseh teu Feko(直訳:人々の歌)
Jo kak muie tlabonsasteo flehseut?
よー かーく むーい とらーぼんさすておー ふれーすぃうと
あなたは戦う人々が歌っているのが聞こえるか?
Sa dat flehseh teu feko na deunue feu fiktahtvioja.
さ だっと ふれーせ てぃう ふぇこー な でぃうぬ ふゅ ふぃくたーとゔぃーおや
それは奴隷に戻らない人々の歌である
Nit jot fevoja sneleut, sonecjvout tuo klatai,
にっと よっと ふぇゔぉや すねーりうーと そねしゅゔー とぅおー くらたぃ
あなたの意志が決意しており、太鼓と共鳴し合っているとき
Sit atifa ahkeut nit putom riht.
すぃ たてぃふぁー あきーうと にと ぷとーむ てぃーと
明日が来る時に命が始まる
Jo tasak eit tzula, ruik at eo si na?
よー たーさ けーいっ つーら とぅーい かー ておー すぃ なー
あなたは私たちの隊列に加わり、私たちと来るか?
Jo kaik kvae soidacji noteu keba?
よ かい くゔぁー そいーだしー のてぃーう けばー
あなたは障壁の奥にある世界が見えるか?
Tlaboni gevet ruht feu eit fikla!
とらぼに げゔぇ とぅーと ふぃう えいっと ふぃくらー
戦いは私たちの自由への道を与える
☆Jo kaik muie tlabonsasteo flehseut?
よー かいーく むーい とらーぼんさすておー ふれーしうと
あなたは戦う人々が歌っているのが聞こえているか?
Sa dat flehseh teu feko na deunue feu fiktahtvioja.
さ だっと ふれーせ てぃう ふぇこー な でぃうぬ ふゅ ふぃくたーとゔぃーおや
それは奴隷に戻らない人々の歌である
Nit jot fevoja sneleut, sonecjvout tuo klatai,
にっと よっと ふぇゔぉや すねーりうーと そねしゅゔー とぅおー くらたぃ
あなたの意志が決意しており、太鼓と共鳴し合っているとき
Sit atifa ahkeut nit putom riht.
すぃ たてぃふぁー あきーうと にと ぷとーむ てぃーと
明日が来る時に命が始まる
Jo tzietoisek tzaleteo teu juo-ku?
よー つぃえーといせく つぁーれてーお てぃーう ゆーお くー
あなたはあなた自身のすべてを賭けるか?
Uakaiteo riokeut, sihtzeo tziemuht.
わかいておー てぃおーきうーと すぃつぇーお つぃーえむーと
ある者たちは帰り、異なる者たちは前進する
Kogosentia buita foknaseut dacji teu Flanse!
こごせんてぃあ ぶいた ふぉくなしうっ だし てぃう ふらーんす
残された血はフランスの地を育む
(☆くりかえし)
かいせつ
……はい。「☆くりかえし」がひとつだけあるように見えます……が。実は二回目の☆がついているところも実質一回目の繰り返しなのです。繰り返しが多いのでものすごく楽々ですねっ。
というわけで今回は今までの2曲に比べたらかなり短くなると思います。ではでは各文の解説を進めていきますね……。
Jo kak muie tlabonsasteo flehseut?
あなたは戦う人々が歌っているのが聞こえるか?
最初の一文はこちら。joはこれまでの曲でも出てきていますが、二人称単数代名詞の主格形です。
次のkakは助動詞ka「できる」の現在時制の二人称単数に一致した活用形です。助動詞に続く動詞は原形不定詞、「辞書形」と言われる形をとるので、muie「聞く」は辞書に出てくる形になっています。「与格?」ちがいます主格と動詞です。
その次の単語……「長っ」と思ったあなた! とてもただしいです。中心的な意味は「tlabon」で、そこに接尾辞がたくさんくっついているのでこうなっています。tlabon-は戦いに関する語根で、ここに-se「する」という接尾辞をつけて動詞化されました。その活用形のひとつである現在分詞形になると、この語尾が-sastに変化します。そして、そこに-eoがくっつくと「現在分詞準体法複数形」となり、名詞のように扱うことができます。その意味を総合すると「戦うもの、存在(複数形)」。うん、ながい。
もともとの意味だと「怒る」とかの方が正確なのですが、そうするとpokasteoになるんですよね。音節数がたりない。あとなんか間が抜けた感じになる。……というわけでこちらを選びました。
文の最後の単語flehseutは動詞「歌う」の三人称複数形の現在時制です。主語になっている直前のtlabonsasteoが複数名詞扱いなので、動詞もこれに一致しています。
で、デナスティア語はSVO語順なのですが。muie「聞く」という動詞は目的語が要求されます……よね? で、その直接目的語は従属節になっているわけです。英語でいうならthat節のないthatみたいな。初手からやや高度だけど初心者向け教科書ではないからいいかな……?
Sa dat flehseh teu feko na deunue feu fiktahtvioja.
それは奴隷に戻らない人々の歌である
sa「それ」は指示代名詞であり、三人称単数の物(人とかでない)を示すこともたまにあります(意味的にはどっちみちあんまり変わらないわけですが)。
datは「である」、いわゆるbe動詞の三人称単数現在時制ですね。先ほどの文で動詞の三人称複数形が-tで終わっていましたが、デナスティア語の三人称活用形は(細かいことを無視すれば)基本-tで終わります。
その次のflehseh「歌」は先ほどの文のflehseut「歌う(三人称複数)」と同じ語根からできていますね。とてもわかりやすい(自画自賛)。
teu「~の」は前置詞で、雑に言うと英語のofみたいなものです。fekoはfek「人」の複数形です。
……そしてまたまた関係代名詞がない関係節みたいなのが続いていますね。というのも、「歌なので音節数制限がある……!」というのが関わっています。本来なら関係代名詞を置くなり、分詞形にするなり──(以下略)
naは「でない」など否定の意味を表す副詞で、基本的には(助)動詞の直前に置かれます。名詞の直前に置くこともできます……が、さざんかの語彙力がなかったり本題からそれたりするのでとりあえずこの場では放置ということで……。
deunueは「戻る」という意味の単語です。もう少し正確にいえば「せっかくAからBになったのに、またAになってしまう」みたいな意味合いがあります。そのAは前置詞feu「~に、~へ」で取られます。
でその間接目的語であるfiktahtviojaですが意味は「奴隷(複数)」です。長い単語……というわけで勘のよい皆様なら複数の語根から成り立っていることがわかります……よね? 今回は割愛します……。気になる方はzpDicからどうぞ。そもそもここからまた飛ぶ必要があるのですが。
Nit jot fevoja sneleut, sonecjvout tuo klatai,
あなたの意志が決意しており、太鼓と共鳴し合っているとき
nit「~において」は基本的には処格や時格相当の意味をあらわす前置詞です。そしてこれまでの文からもお分かりいただけるかと思いますが、後ろに名詞だけでなく文を導くこともできるんですよね。べんり。
jotは二人称単数代名詞「あなた」の属格で「あなたの」という訳になります。ちなみに属格で所有されるような意味合いの名詞は後ろに置かれます。え? 「三人称形に活用された動詞との見分け方?」ですか……? 正直「慣れ」です。
fevojaは「意思」や「意志」の複数形、その次の動詞sneleutは「決意する」の三人称複数です。「意志が決意」とかわけのわかならいにほんご()ですが、なんか気づいたらそうなってました。しかも複数て。
そしてsonecjvoutは「共鳴する」の三人称複数形の「条件法」です。「条件法」という名前のわりに条件を提示しない文脈でも関係なく「~している」など動作の継続を示す時にも使用されたりします。
※なお、直接法でも状態を示す「状態動詞」なるものもあります。
※なお、前述のsneleutも条件法です……が直接法と同じ形なんですよね。
tuoは主語とtuoの後ろに来る名詞が相互に動詞のことをしていることを表す前置詞です。何言ってるのと言いたくなるかもですが、これ一単語でmigdalの記事が一本書けるぐらいには色々あるので今回は省略しますね。
klataiはklata「太鼓(系の打楽器)」の複数形です。前置詞のtuoと合わさって「あなた」と「太鼓の音」が「互いに共鳴している」といったような意味合いになっています。
Sit atifa ahkeut nit putom riht.
明日が来る時に命が始まる
sitは「したがって」とか「よって」みたいな意味です(なお語源は「sit(agatte)」です)。
次のatifaはatife「命」の複数形、ahkeutは「始まる」の例によって三人称複数形。nitは既出なので省略しまして、putomは「明日」。rihtは「来る」の条件法三人称単数形です。
Jo tasak eit tzula, ruik at eo si na?
あなたは私たちの隊列に加わり、私たちと来るか?
tasakは「加わる」の二人称単数。eitは「私たちの」を意味する一人称複数代名詞の属格です。tzulaは「列、隊列」を意味する単語で「連なり」が語源なのです……が。単数形なのですよね。
一本の列というより列の塊のイメージなのですが、塊なので単数形です。そして絶対単数形なるものもあるのですが……詳細はまた別の機会に。
ruikは既出のriht、ruie「来る」の直接法現在二人称単数形です。atは「~と共に」をあらわす共格みたいな前置詞です。
そしてeoは一人称複数代名詞の対格形……ですが、デナスティア語はなぜか人称代名詞と、指示代名詞の複数形にだけ対格があるんですよね。なぞ。そしてeitと最初の一文字しか被っていないという……。
「si na」はnaがすでに出た「でない」で、siは「あるいは、または」のような意味なのですが、この二単語で付加疑問文を表現することができるんですよね。
Jo kaik kvae soidacji noteu keba?
あなたは障壁の奥にある世界が見えるか?
kaikはka「できる」の二人称単数形ですし現在形ですが。今度は条件法です。直後の原形不定詞のkvaeは「見る」の意味です。
soidacjiは「世界」、noteuは前置詞で「~の後に」ですが、ここでは「~の奥に」と訳した方がいい感じですね。kebaはここでは「障壁」と訳していますが語源は言うまでもなく「kabe」ですはい。
Tlaboni gevet ruht feu eit fikla!
戦いは私たちの自由への道を与える
tlaboniは最初に出てきたtlabonsasteoと同じ語根に由来していて「戦い」とか「戦闘」といった意味を示す名詞の単数形です。
gevetはgiveに由来する単語で「与える」を示す単語の三人称単数形。直接目的語に与えられるものを置き、feuでそのものを与える相手をあらわします。
そしてその直接目的語であるruhtは「道」の単数形、そして初出のfikla「自由」も同じく単数形です。
普通に翻訳すると「戦いは私たちの自由に道を与える」とも訳せる(デナスティア語に与格と「~のために」を区別する方法がないため)のですが、たぶんこっちの方が自然だとおもうます。
Jo kaik muie tlabonsasteo flehseut?
あなたは戦う人々が歌っているのが聞こえているか?
はい。最初の一文目とまったく同じ……と思ったそこのあなた!
実は二単語目のところだけ違うんですよね。最初の歌い出しの時はkak「あなたは~できる」で直接法となっていましたが、今回はkaik「あなたは~できている」という意味の条件法になっているのです……!
ものすごく細かいですが、最初は「聞こえますか?」で始めて、二回目はすでに歌は聞こえているはずなので「聞こえていますか?」と呼びかけているわけです。
……でも他の部分は一回目とまったく同じなので実質ここも「☆くりかえし」なのです。
今度は与格から始まってませんよ……! 正確には「今度も」ですけどね!
Jo tzietoisek tzaleteo teu juo-ku?
あなたはあなたのすべてを賭けるか?
そして事実上の「☆くりかえし」の部分をだいぶ飛ばしまして。
tzietoisekは「賭ける、投資する」などあらかじめ「それがなくなっても後でいい感じになったらリターンください」的な感じの動詞ですね(てきとう)。もちろん主語が二人称単数代名詞なので活用形(以下略
juoは二人称単数代名詞の対格形……なのですが。その後ろにハイフンがついて-kuが出ていますよね。これは疑問文マーカーで、「ですか?」みたいな意味を表現できます。……と言いつつも、これまでに見てきたとおり、これがなくても疑問文にはできるんですけどねそこ! 音節数合わせのための都合のいい要素とか言わないっ!
Uakaiteo riokeut, sihtzeo tziemuht.
ある者たちは帰り、異なる者たちは前進する
uakaiteoは形容詞uakaitia「いくつかの」の準体法複数形です。
「現在分詞でないのになぜ準体法?」と思われた方、とてもするどいです。現在分詞とそして今回は出てきていませんが過去分詞。これらと形容詞はかなり近い存在と言っても過言ではない(詳細はまた別の機会に……)ので、こんなにも似ているのですよね。
というわけで主語は実質複数名詞。そのためriokeut「帰る」は三人称複数形に一致しているわけです。「帰るってどこに?」と思われる方もいるかもしれませんが、その先はデナスティア人の宗教観に由来していて「精霊世界(日本語訳で)」などと呼ばれている場所で、安直な言葉で言うなら死んでから行くとされる楽園とか天国みたいなものです。これもまたいつか説明できれば……とか思ってます(いつになるやら)。
そしてsihtzeoはsihtzia「異なる」という意味の形容詞のこれまた準体法複数。その次の動詞はtziemuoe「前進する」です。
これらをまとめると「ある人々は(死んで)精霊世界に帰ってしまうけれど、それ以外の人たちは前に進む」という意味になります。
Kogosentia buita foknaseut dacji teu Flanse!
残された血はフランスの地を育む
はい。音節数過多の部分です。kogosentiaはkogoe「残す」の……ここまで出てこなかった過去分詞の形容詞形で、通常の形容詞みたく名詞に前置されています。
buitaはbuiteh「血」の複数形です。血は本来液体なので数えることができないのですが、ここでは個々人の血を別々に数えて複数形としています。
foknase「育てる、育む」は普通に三人称複数形に一致した直接法現在形動詞です。dacjiも「土地、大地」といった意味合いの名詞の単数形。teuは既出。
そしてFlanseですが。Franceと違ってrではなくlなのは、デナスティア語のrが母音の直前で/ʈ/とかになってしまうことが大きく関わっています。あとiやeの前のcも発音を定義していないという。音韻変化+綴り字改革だったとしても想定しておきなさいと言われかねませんね。はい。
何ならrのところは英語ベースにしているのでいっそのことFuanseとかでもよかったかもしれません。
あとは「☆くりかえし」だけ。……前回までのやたら長いこれとか、あとこんなのとかに比べるとやっぱりコンパクトにまとまりましたね。よそうどおり。
まとめ
というわけでここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。ちなみに、この翻訳は日本語版と英語版を比較するサイトやら、英語+日本語訳字幕つき動画を見たり、ちょっとだけリパライン語版の翻訳を見たりしながら翻訳しました。
久しぶりにデナスティア語とがっつり戯れてみましたが……自作言語でわいわいするのはやっぱりたのしいですねっ。
最初に作り始めた言語ということで単純接触効果とか思い出補正とかもあるかもですが、まだこの言語を作った「真の目的」にはそこまで進んでなかったり……というわけで今後もゆるゆる創作していこうとおもいます。
さて次の記事は一体いつになることやら……。
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