本記事は、2024年秋(第9回)人工言語コンペの提出作品です。
0.お題
一般に言語には「上下」「東西南北」といった方向を表す語彙があります。このような概念は、重力と地軸が存在する地球上での生活に特有のものと考えられます。
では、もし「地球外の無重力空間で生活する人々」が存在するとしたら、どのように方向を表すでしょうか? 彼らの話す言語を作り、方向を表す語彙を使って道案内する文章を作ってください。
1.道案内
「お待たせいたしました。当機は国際宇宙ステーション第三ドックに到着いたしました。またのご利用をお待ちしております。」
私は大学で宇宙工学を学んでいる大学四年生だ。春から宇宙船整備会社で働く予定になっている。単位も取り終えて後は卒業を待つだけで暇をしていたところ、親父が
「宇宙に関わる仕事をするのに、宇宙に行ったことがないのはマズいだろう。金は出すから旅行にでも行ってきなさい。」
と言って、海外旅行に行くくらいのお金を渡してくれた。今や宇宙旅行は海外旅行と大差ないくらいの金額で行ける。とは言っても、行くにあたっては幾らかの訓練を受けないといけないので、観光客が大量に宇宙になだれ込むということにはなっていない。宇宙関連の大学生の定番の旅行先といった感じだ。その例に漏れず私も旅行に来たというわけだ。そして今、空港ならぬ宇宙港に着いたところだ。
初めての宇宙旅行でちょっと不安だったけど、来てみるとなんてことはない。ただの無重力空間だ。……無重力空間だ。まだ慣れない。酔い止めは飲んでいるから気持ち悪くはないけど、重力が無くなって上も下もない状態というのはなんだか不思議だ。移動は腰と足に付けた推進剤発射装置を使って動く。自動制御装置が組み込まれているので、体が回転しすぎることはないし、変に回転していたら自動的に止めてくれるらしい。昔の人はこの制御を全て手動でやっていたというのだから驚きだ。
さて、宇宙港を出たが何をしようか。ここで私は宇宙船の座席にあったチラシを思い出した。
「宇宙で月を見ながら月見バーガーを食べよう! マクドナルド国際宇宙ステーション7階層2号店」
……宇宙にもマックがあるんだ。さすが、世界のマックだと宇宙船の中で思った。宇宙船の旅はそれなりに時間がかかったし、機内食もないのでお腹が空いているのは事実なんだよなぁ。上手いところに広告を出している。
よし、マックに行こう。そう決心して、スマホの道案内アプリを起動した。宇宙ステーション内は地球とは感覚が違うからナビゲーションアプリの類は必須だと聞いていたので予めインストールしていたのだ。宇宙ステーション内には現在地を知らせるセンサーが至る所についていて、スマホがセンサーを読み取ってくれるので迷わないというわけだ。
"Komentsias navigadon."
ナビアプリを起動したところ、機械音声が流れた。言語設定は、宇宙ステーション共通語だ。日本語に変更することも可能だけど、せっかくだから共通語の設定のままにしてみようと思う。宇宙船内で暇だったので『ニューエクスプレス 宇宙ステーション共通語』を読んでいた。その成果を試してみようと思う。
"Ire okdek metrin turnen."
まずは回転方向に80メートル進む、か。よし、聞き取れたぞ。回転方向、回転方向。この回転方向という言い回しは宇宙ステーション特有の言い回しらしい。ニューエクに書いてあった。ステーションは円盤の形をしていて、ゆっくり回転している。この方向に従う方向が回転方向だ。
さて、どっちが回転方向だろう。周りを見渡すと、大きな矢印の看板があり "turnen" と書てある。こっちが回転方向らしい。私は腰の推進装置で方向を合わせながら、ゆっくり進み始めた。流れるプールでふわふわ漂いながら流されているような感覚だ。しばらくするとナビが次の方向を知らせてくれた。
"Ire dek metrin interen."
えーっと、ステーションの中心に向かって10メートル進む、かな。中心方向も看板で分かったので、そっちに向きを合わせて少しだけ進むと次のナビが続いた。
"Ire dudek metrin pozitiven."
正極方向に20メートルだ。この正極方向という言い回しも、宇宙ステーション特有の言い回しだ。ステーションの円盤に垂直な方向が正極・負極の方向だ。回転が時計回りに見える側が正極だ。正極方向も看板に書いてある。そちら側に体の向きを合わせた。お、少し先に見慣れた雰囲気の看板が見えた……けど何か違和感がある。'M' の文字がひっくり返って 'W' になってしまっている。そうか! 私が反対向きになってるのか!
私は側転する方向に回転した。マックの看板がいつも通りの見慣れた形になった。
ここから下は国際宇宙ステーション共通語の解説です。言語オリンピック的に解読をしたい人にとっては、ここから先は答え合わせになりますのでご注意ください。
2.設定
漫画/アニメ『プラネテス』の世界。すなわち近未来で、多くの宇宙飛行士が国際宇宙ステーションに滞在して日々、宇宙開発をしている社会。この中で共通語として話されている言葉が今回提出する言語になります。
現実世界から地続きの世界なので、順当に考えれば英語が共通語として成立していそうですが、それでは夢が無いかなと思い、ここはエスペラント語が共通語の地位になったという設定にしようと思います。英語では不平等だという意見が出て、「それなら、英語から移行するのが比較的簡単なエスペラントにしよう!」みたいな結論になって、エスペラントが国際宇宙ステーション内での共通語になったということにします。
とは言え、それだけでは人工言語コンペとしては面白くないので、エスペラントをベースにして変化していった言語という設定でいきます。
3.発音と文字
3-1.音素
エスペラントベースなので、ほとんどエスペラント語の通りですが、英語に存在しない無声軟口蓋摩擦音 /x/ は、無声声門摩擦音 /h/に吸収された設定とします。また同様に英語話者にとって難しい無声歯茎破擦音 /t͡s/ も /s/ に退化しています。
これらは英語から移行した影響と思ってください。もっとも、母語に /x/ や /t͡s/ の音がある人はそのまま発音することもあるでしょう。社会方言ができているイメージです。
アクセントはエスペラントと同じ位置を維持しています。(後述の末尾母音 -o の脱落があっても、アクセントの位置はそのままです。)
3-2.文字
文字はラテンアルファベットを使います。ですが、エスペラントには通常のラテン文字には存在しない文字がありますね。それらの字を書き表せられるように、英語からの移行時に綴り字改革が行われたことにします。この際にロジバンの表記法が参考にされたことにします。(完全に私の趣味です。前提からロマンだらけの設定なので、ここまで来たら自分のロマン全部詰めにします。)
具体的には下記の通りです。
c -> ts ※綴り字上は ts と表記するが、標準的な発音は /s/
ĉ -> tc
ĝ -> dj
ĥ -> x ※綴り字上は x と表記するが、標準的な発音は /h/
j -> y
ĵ -> j
ŝ -> c
ŭ -> w
(ああ……美しい体系だ。※個人の感想です。)
4.文法
4-1.名詞
エスペラントでは名詞の語末は -o でしたが、これは脱落します。英語が閉音節なのと、無くても区別できるという理由で脱落しました。ただし開音節系が母語の人は -o を付けて話すことが多いようです。
複数形は -i を付けます。語幹が母音終わりでも -i です。末尾が i でも -i を付けます。(この場合、音素としては認識されませんが声門破裂音が挿入されます。)
4-2.格
格は主格と対格の対立がそのままエスペラントから引き継がれます。主格が無標識で、対格は -n を付けます。しかしここで問題があります。単数名詞の -o は脱落してしまっているので、語末が子音になっている名詞がほとんどになっています。その状態に単に -n を付けると発音しづらいことこの上ないです。なので単数対格の時は 'o' が緩衝母音として復活して -on となります。
4-3.形容詞
形容詞はエスペラントと同様に語末に -a を付けます。英語に引きずられて名詞に対して前置することが多いです。
修飾している名詞の数と格に呼応して、-i, -n が付きます。この辺りはエスペラントから引き継がれたようです。
4-4.動詞
動詞の語尾はエスペラントと基本同じなのですが、2点変化しています。
まず、不定詞は語末 -i が複数名詞に取られてしまったので、このままでは区別ができません。そこで -ir が不定詞の末尾となりました。この末尾形はロマンス諸語によくある形から取られました。
また、命令形は -u ではなく -e になりました。この方が言いやすいという理由で変化しました。
4-5.副詞
本来副詞であれば -aw となっていることが多く、形容詞からの派生であれば -es です。エスペラントでは派生副詞の末尾は -e でしたが、その語尾は命令形に取られてしまったので -s が追加されたというわけです。
くわえて、今回のコンペの要件である道案内で重要になってくる、方向を表す表現が副詞から派生しています。-en という末尾です。この用法は現代のエスペラントにも存在する用法で、 これが一般化したという設定です。
5.方向を表す表現
今回のイベントの趣旨である方向を表す表現は、宇宙空間で暮らす関係で、次のような表現に置き換わっています。
前へ -> antawen ※ここはそのまま変わらず
後ろへ -> malantawen ※ここはそのまま変わらず
右へ -> destren ※ 'dekstr-'が発音しにくいため'k'が脱落した
左へ -> koren ※「心臓の方へ」の意味
上へ -> kapen ※「頭の方へ」の意味
下へ -> pieden ※「足の方へ」の意味
また、国際宇宙ステーションの構造に依存した「方角」の表現もあります。ステーションは円盤に垂直に棒が刺さったような形をしています。(そういう形をしていると私が想像で決めました。実際どうなってるのかは知りません。)
円盤は軸を中心に緩やかに回転しています。(そうなっていると私が想像で決めました。)円盤の回転が時計回りに見える側を「正極方向」、反時計回りに見える側を「負極方向」と呼ぶ習わしとなっています。(そうなっていると私が想像…)時計はそのままの形で使われていてこの考え方が残っているとしました。(そうなっていると私が…)
回転方向に進むのは、そのまま「回転方向」、反対は「逆回転方向」です。
円盤は内部が同心円状に区画が区切られていて、内側から第1層、第2層……となっています。(そうなって…)内側に移動する方向を「内方向」、外側に移動する方向を「外方向」と言います。
正極方向へ -> pozitiven
負極方向へ -> negativen
回転方向へ -> turnen
逆回転方向へ -> malturnen
内方向へ -> interen ※internenが訛って成立した。例外的に 'in' の部分にアクセントがある。
外方向へ -> esteren ※eksterenが訛って成立した。例外的に 'es' の部分にアクセントがある。
以上
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