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トキポナの pi とランディの未解決問題

トキポナで tomo telo といえば、tomo が部屋で、telo が水ですから、水の部屋、つまりトイレや風呂場を意味します。tomo telo nasa といえば、nasa = 奇妙 ですから、奇妙なトイレのことです。

telo nasa といえば、奇妙な水、つまりお酒を意味します。tomo pi telo nasa といえば、お酒の部屋、つまり酒蔵を意味します。

このようにトキポナでは、( A B ) C を A B C と記述し、A ( B C ) を A pi B C と記述します。

さて、A ( ( B C ) D ) は A pi B C D と記述されますが、( A ( B C ) ) D も同様に A pi B C D という記述になってしまいます。

たとえば、monsuta ( ( oko suli ) mute ) は「「多くの大きな目」の怪物」を意味しますが、( monsuta ( oko suli ) ) mute は「多くの「大きな目の怪物」」を意味します。多いのが「目」の場合も「怪物」の場合も、どちらも monsuta pi oko suli mute です。

さて、ランディは、トキポナの欠点を改良しようとして生まれた人工言語ですが、この部分に関しては、どのように改良されたのでしょうか?結論を言うと私はこの部分に関しては改良を断念しました。なぜなら、日本語でも「多くの大きな目の怪物」という形にどちらもなります。会話に支障がなければ、わざわざ改良する必要はないのです。

ところが、困ったことが発覚しました。( A ( B C ) ) D と ( A ( B C D )) も同形になるため、たとえば、pipi pi noka mute tu は、多くの足をもつ虫が2匹、つまり「2匹のムカデ」なのか、それとも mute を20と解釈して「22本の脚をもつ虫」なのか区別ができません。これは、ランディにとって痛手です。

ランディで「五角形」は fon e tu tun ですが「五角形2個」をランディで言おうとすると、fon e tu tun son になり、これだと「52角形」です。ランディの文法では「三角形7個」と「37角形」を区別できません。

これはランディの未解決問題として認めざるを得ません。

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