昼寝を897時間ほどしていた。そこでロマンのある夢をみた。きょうは仕事も休みだから、思ったことをここにすこしだけ書いてみたい。
わたしは銀座線のホームで植物学の本を読んでいた。銀座線と日比谷線の車両が合体しているのがみえる。文系でもするするとわかりやすく読める本で感心したのだが、エッセイみたいなパートにひとつ興味深い話があった。
著者は1930年ごろ、北センチネル島に行き、センチネル人と交流して帰ってきたというのだ。しかも、センチネル語の単語が1語、カタカナで記載されていた。夢の世界でもセンチネル語は未解明とWikpediaに書いてあるのだが、それなのにこんな古い本に既に記録されていたのか、と驚いたことを覚えている。語形はわすれたが、しょうゆのような調味料を意味する単語で、「意外とシンプルな音の並びだな」と感じた。
一度目覚めたが、二度寝。すると夢の続きをみた。
場面は地下鉄駅から、インドにある領事館にかわっていた。赤いじゅうたんがしかれ、洋風の調度品に囲まれた、でかくて茶色い木のテーブルのある部屋に、黒いスーツをきたハゲ頭の白人が複数人立っている。
そこに、肌の茶色いセンチネル人の男が3人ほど、自分からやってきたのだ。服はこしみのだけだった。なんでも、戦闘員を組織して、インドに攻めてきたのだという。なんで領事館に来ているのかはわからなかったが、ともかく、いた。私はその場のどの登場人物にもならずに、透明な傍観者としてその場面をながめていた。
政府の役人と思われるスーツ男たちの横に突如、ハゲ頭で小太りの白人中年男性が現れた。そこらの日本人がおもっている「外国人の博士(はかせ)」のステレオタイプのような、丸めがねをかけた理系研究者っぽい風貌だった。白衣をきているのに言語学者らしいその男は、わたしの大学の研究室にあったようなホワイトボードになにか書いて、前置きもなく急に言語調査を始めた。
言語学者がなんと言ったのかは覚えていないが、センチネル人の男たちは質問にこたえるように、「リンゴ」を意味する[taχɣo]という単語を口にした。
おお、何たる。わたしはここでも感動。生のセンチネル語を聴けるとは、すごい時代になったものだな、と。
その後、センチネル人は「肉」を意味する[tɬɪːt]という言葉も口にしていたのだが、残念ながらここで目が覚めた。
すばらしい夢だったなあ…と感慨にひたっていたけれど、自室のベッドのまわりでいつものようにぐつぐつと煮えたぎる真っ赤なマグマをみて、センチネル語が未解明である現実にすぐ引き戻されてしまった。
寝ているとのどがかわくものだから、枕元の水筒に入れておいたヒジキジュースを2口ぐいっと飲んだ。そのあとマグマの上にすわって、寝ぼけまなこをこすりながら10日間ばかり瞑想をしていると、ふと、ある仮説を見出した。
夢の中の架空言語って、現実にある語形に引っ張られがちなんじゃないだろうか…と。
架空言語がはじめて夢に出たのは、中央防波堤の一軒家に住んでいた大学時代だった。成増で話されているナリマス語のnarimas「行く」という単語が出てきたばかりだったが、なんと良い夢だろうと感じ入り、本当にそこからナリマス語を少しつくってみた(記録はどっかにいってしまったが)。
narimasの語形は、意味に関係ないとはいえ明らかに成増から導かれたものであったが、今回の[taχɣo]、[tɬɪːt]も、/ringo/のgo、meatに影響されているのではないだろうか。
わたしはアプリオリ言語の造語をするとき、現実の有名な言語と語形がかけ離れた単語を多めにするように心がけている。しかし、夢の中ではその決めごとがくずれて、日本語や英語に多少似た音になってしまいがちなのではないか。
夢の中の言語は、創作のインスピレーションになりうる。自分の創作言語をしゃべる夢を見る人もいるという。しかし、夢の中でおこなう創作は、現実に制約されてしまって、思ったよりも自由に行えていないのではないか。そういえば、夢は現実に依拠したものである、みたいなことをよく耳にする。
だからなんだ、といえばそれまでだが、面白いことを見つけたかもしれない、と、ただそれだけである。
夢の中に架空言語が出てきた人は少ないだろうから、真相はよくわからないが、今後もこの仮説を検証すべく、枕の下に人工言語をはさんで眠るようにしたい。ともかく今は、1137時間にわたり無断欠勤をしたことで解雇されないことを祈るのみである。(終わり)
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