個人的な感想だが、強大な海軍を持つに至ったイギリスにはネームプールが枯渇しすぎて「なんかもっとこう……なかったの?」という艦名がちらほら現れるように感じる。
例えば、駆逐艦アタック(HMS Attack)。「アタックでアタック」みたいな意味不明な文章が出てきかねないと考えなかったのだろうか?
それとも知性と教養を兼ね備えた海軍士官ならいい感じにパラフレーズするとでも考えていたのだろうか?
真相は分からない。
一方、リパライン語が話されているユエスレオネ連邦の軍の装備や兵器の名前は逆に凝りすぎていて、そのままでは意味不明になっている場合がある。
今回の記事では、それを一つ紐解いて紹介してみたいと思う。
ネファルダザンフュ
ネファルダザンフュ(
nefaldasanfy
)はFAN-06自走対空砲の愛称である。
FAN-06はFK-06軽戦車の台座に左右二門の対空砲とレーダーシステムを載せた量産型対空砲で、デュイン戦争での苦戦を反省し、ケートニアー飛行兵戦・防空戦力の強化を目指して開発され、デュイン・アレス独立戦争で活躍を収めた。
愛称は直訳すれば「雷雲なき空を実現する力」(nef-aldas-anfy)となる。
普通に考えれば、飛行兵が空中から発動するウェールフープによる攻撃を「雲と雷」に形容し、それを取り払うFAN-06を「力」として表したものと解釈できるだろう。
基本的にはこの理解で良いのだが、この愛称には『アルダスリューレの行』という叙事詩が関わっていると考えることも出来る。
愛称の語幹がアルダス(aldas)となっているが、これは『アルダスリューレの行』の主人公で英雄の名前となっている。リパラオネ文学の中でも重要な古典文学の一つに登場する英雄を取り除くという名として読むことも出来るのだ。
しかし、何故英雄を取り除く名を兵器の名前につけるのだろう。普通は逆ではないか?ここにはリパラオネ人の英雄に対する考え方が関係している。
スキュリオーティエ叙事詩を始めとしたリパラオネ人の英雄観は哲学史的近代(中世ファイクレオネ末期)から形成された。その英雄観は「英雄は死ぬことによって英雄となる」という考えである。
すなわち、英雄を英雄として認めるためには英雄の死をきちんと取り上げなければならない。これによって、英雄アルダスを取り除くという力という名前自体が、英雄を敬いつつ、武器の名前として使うことが出来るのである。
ネファルダザンフュという愛称には、直接的な形容と暗示的な叙事詩の引用の面があることを述べた。
ユエスレオネでは叙事詩に基づく命名が多い。直接的な命名も多いが、ただ単に有名な英雄や神の名前をそのまま付けても味気ない、ダサいと彼らは思うようだ。
だからこそ、このような二面性のある愛称に落ち着いているとも言えよう。
Top comments (0)