架空国家学会本科会第三回の質問に答えていく。
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思想の厚みを感じられてとても楽しく聞けました。
①イェスカの言葉として「革命は自然である」とありましたが、この「自然」とは何を指しているのでしょうか?
②「ユエスレオネ革命は真にイェスカ主義の誤った発現」とは、イェスカ主義の中で「革命」が能動性を持ちえないのにも拘わらず、ユエスレオネ革命が古典的な能動性を持っていたことが理由だという認識であっているでしょうか?
①について
現世で言うところのフランクフルト学派における道具的理性の議論の中に出てくる「自然」が一番イメージに近いです。嵐のようなもので、人間はそれに振り回される被対象者です。リパラオネ思想としては、ヴェルテール・シュテック・レヴァーニの「人間の本性」にまつわる議論における「自然」(
xyfoatost
)をイェスカが引用したものになります。「他性物」(
etilia
)の中から「発生」(
volesel
)を除いたものを「革命」に当てているのは、イェスカ的に「反革命」を人間的なものとして見做したかったからということになるでしょう。
イェスカがこのような近代的(反)革命を明確化したのは、やはりリパラオネ人の伝統としてのレティンノ(
letinno
, 他者を他者でなくさせる暴力)への反感に由来し、古典的な回避→能動の図式による「革命」よりも、むしろ「自然」としての「革命」に受け身として巻き込まれる人間的な姿――つまり、「反革命」の人間性を真摯に見い出したからです。しかし、イェスカはこの近代的(反)革命のみで話を終えるのではありません。それもまた古代(古典)へのレティンノであるからです。このため、彼女は(反)革命の図式に主体的統一(
l'ixfant cilylista
)の理論を適用して、古典的な図式と近代的な図式を共存させたのです。自然に巻き込まれ、それに巻き込まれるばかりの人間の姿だけでなく、挫折を経験しながらも、何かに立ち向かい、戦う人間の姿を同時に認めることは彼女にとっての「決意」(
tractorvo
)だったのかもしれません。
②について
先に述べた通り、イェスカが提示した「革命」の図式は古典的なものと近代的なものの重ね合わせになります。アインは、ユエスレオネ革命がイェスカ主義を標榜したにも関わらず一方的な古典的図式(つまり、古典的な能動性)による革命であったということを指摘しています。
ちなみに、暴力的な革命に至ったのにはイェスカ主義者であるアレス・デュイネル・エレンの武力革命論(
tersezantarxol
)が関わっていて、2020年代頃の第三政変(
dqate lertasarjurmil
)でこの理論は一度批判されるのですが、時期をすぎるとレシェール・アルヴェイユの『イェスカたちの行方』(
jeskass tydiestal: akruminijeskaverarlstusten nodelm
)を始めとした再評価が始まっていきます。
果たしてアインの指摘は正しかったのでしょうか?
その答えは21世紀中盤になっても議論され続けています。
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