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まゆ タツ
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xoþavenia (ふるさと)

トキポナで、ふるさとを翻訳した記事に触発されて、ふるさとをボウニム語訳をしてみた。ボウニム語は、日本語と同じ語順だから、元詩に近い書き方ができる。しかし、文法面で日本語とは違う相違点があるため、完璧ではない。また歌えるように、リズムも考えて訳した。

1.
fetero al kelited kal lar kowa.
(直訳:うさぎを追ったあの山)
rudana al votered kal lar jone.
(直訳:ブナを釣ったあの川)
jucal kal da turima idan as ha alukan la monk
(直訳:夢でね、今も、私たちが歩いている)
wolef seni den da xoþavenia.
(直訳:忘れることはねできない故郷)

2.
turima xoma hu ma, šolome ha.
(直訳:今、どのような状態ですか。親が。)
temati til šatan ma, lural sail ha.
(直訳:元気な状態で、存在しますか。友達たちが。)
sale ha da aran ida þeze ha aran dor idan
(直訳:雨がね、降っていたり、風が吹いていたとしても、)
as ha wonar sen la xoþavenia.
(直訳:私たちは、思い出すことができる故郷)

3.
firima goral al rulisikoa
(直訳:いつか、望みを叶えて)
sa as ha lar venia le loceikoa.
(直訳:そして、私たちは、町へ帰ろう。)
tarn kowa al auturaha la ast xoþavenia le
(直訳:青い山を持っていたなぁと感じる私たちの故郷へ)
tin limi aka til xoþavenia
(直訳:とても清潔な水がある故郷)

文法に関する話

連体形と準動詞形

日本語の動詞の連体形に相当する、ボウニム語の準動詞形(-i系, -ed系)の使い方が少し異なっている。日本語の連体形は、修飾先がどうであろうが、「追いし山」のように表現できる。しかし、ボウニム語の準動詞形で、似たような表現をするに、修飾先を何の格で修飾しているかを示す必要がある。主格や対格で修飾する場合、日本語と同じく、連体形のように、後に修飾する名詞を置くだけでいい。しかし、それ以外の格で修飾する場合、準動詞形の後に、格表示させる後置詞を置く。

↓格の後置詞を入れる、入れないで、意味が大きく変わる例
ant kucialed loucial (私が食べた家、(家を食べた。))
ant kucialed kal locial (私が食べた家、(食べた場所として家))

※ちなみに、こんな訳のわからない文法が出来たのは、2018年から2019年ごろで、英語の関係代名詞のin which が where と同じ意味とわかって、それに触発されて、こんな文法が出来た。

そして、最初の部分
fetero al kelited kal lar kowa
では、kelited(追うの過去準動詞形)の後に、kal(処格の後置詞)がついているのは、あの山を追っているのではなく、あの山で追っているためである。

第1番の3行と4行

jucal kal da turima idan as ha alukan la monk
(直訳:夢でね、今も、私たちが歩いている)
wolef seni den da xoþavenia.
(直訳:忘れることはねできない故郷)

おそらく、個人的に、ネイティブのボウニム語話者でも、「うん?」となりそうな文な気がする。3行目と4行目を合わせて、名詞句となる。

jucal kal da turima idan as ha alukan la monk
(夢でね、今も、私たちが歩いている(接続詞"la"を用いた関係節)

wolef seni den da
(忘れることはね、できない (準動詞形による関係節)

xoþavenia (ふるさと (名詞句の主要部))

また、"la monk"となっている理由は、前述したものと同じ。故郷のまわりで、歩いているからである。

tilの状態用法

til は、「〜を持って」という意味の後置詞である。"temati til"は、「元気な状態を持って」ではなく、「元気で」のように、状態を意味させることができる。
例えば、"smenihal til šatan"の場合、「スマイルでいている」と訳す。

第2番の3行と4行

sale ha da aran ida þeze ha aran dor idan
(直訳:雨がね、降っていたり、風が吹いていたとしても、)
as ha wonar sen la xoþavenia.
(直訳:私たちは、思い出すことができる故郷)

「雨が降る」や「風が吹く」、「雪が降る」、「雷が鳴る」などは、
"ar (行う)"で表現する。

例えば、「雨が降る」は、"sale ha ar"と訳す。

dor idanは、ボウニム語の慣用表現で、「〜だとしても」という意味になる。

そして、句を分解すると

sale ha da aran ida þeze ha aran dor idan
(雨がね、降っていたり、風が吹いていたとしても、(副詞句))

as ha wonar sen la
(私たちは、思い出すことができる(関係節))

xoþavenia (故郷 (名詞句の主要部))

第3番の3行目

tarn kowa al auturaha la ast xoþavenia le
(直訳:青い山を持っていたなぁと感じる私たちの故郷へ)

「山はあをき故郷」は、ボウニム語では、うまく、翻訳できない。そのため、意訳となってしまった。

また、ボウニム語は、英語と同じく、haveに相当する言葉で、存在を表現することができる。

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