****ダラキア王国は、17〜19世紀に存在していたと見られる国です。
概要
ダラキア王国(Darakiana Wanageru)は、カシミールに存在していた国で、現在のハンダーに都をおいていました。
略史
1632年、カシミールのラダフ朝は内戦が勃発し、政治が乱れ、無政府状態になっていた。その中、シヨック川の湖畔のハンダーは、明が乱れている際に閉じ込められ、明に帰国できなかった中華系商人たちが多く住んでいた。
その中のひとりであったマンルイ=ガン(Menrui=Gan)は、1637年、仲間を引き連れて蜂起し、ラダフ朝の首都、レーに攻め込み、1644年に滅亡させ、ダラキア王国を建てました。そこから、彼はテュルクに攻め込み、長い戦いの末、1691年にようやく滅ぼしました。一方、王は1658年に死去し、2代目の王のミラリヌ(Miralinu)が即位し、最盛期を迎えていました。その栄光は、第5代の王、カテリナ(Kateline)が死ぬ直前の1745年まで続きましたが、第六代目の王、ルアス(Ruesi)は政治に無関心で、急速に国は衰えていきました。1769年、清との戦いに敗れ、カシミールを除く殆どの領土を失いました。そこからカシミールの山奥でひっそり国は続きました。1878年、第13代目の王、ダーイ(Deyi、翌年に不明死)の時代に開国し、上のような国旗を作成。1895年、大英帝国との戦いに敗れた第14代目の王、ファールン(Falun)は英軍に捕まり殺され、その弟のカール(Kelu)はハンダーを捨て、北へ逃げ、そこから約400km北のサルハード(現在はアフガニスタンの地名)で即位し、後ダラキア王国を建てたが、1898年、アフガニスタン軍に攻撃され、滅亡した。
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