Migdal

んらんゔぉ
んらんゔぉ

投稿

地理から考えるEsperantujoの歴史

これはエスペラント諸語地域を考える際の一案です。

目次


1. はじめに——地理が言語を決める

Esperantujoの言語地図は、一見すると複雑きわまりない。

標準エスペラントがあり、首都の下町ではPopidoが飛び交い、西方水運・商業圏ではIdo、東方山地ではLinguna、西南丘陵ではRomániço、北方沿岸では三種類のゲルマン系言語が話されている。さらに古語・死語・学者語まで含めれば、この国の言語史は途方もない層の重なりとして現れる。

しかしこの複雑さには筋がある。言語の分布は地理の必然から来ている。どの山脈がどの方向にあり、どこに川が流れ、どこに丘陵があり、どこに平野が広がるか——それが古代から現代まで、誰がどこへ移動し、誰と接触し、誰の言葉を借り、誰の言葉を拒んだかを決定づけてきた。

この記事では、Esperantujoの地理的な骨格を念頭に置きながら、古代から現代まで言語の地図がどう変わってきたかを追う。

地図の確認から始めよう。大河Preakvoは南方山地・西南丘陵の水源地帯から発し、中央盆地を北へ貫いて、北の海Norda Marへ注ぐ。南と東南には山地・高原・峠帯があり、Volanioとの国境を成す。北は低い海岸、砂州、潟湖、河口、島嶼が続く。西方は外洋に面しているのではなく、Preakvoの支流・旧河道・短距離運河を中心とした内陸商業圏である。この国の「海」は北にしかない。


2. 古代:最初のルドウィキアはどこにあったか

「ルドウィキア(Ludovicia)」とは、北ロマンス諸語の話者が暮らすこの地域全体の歴史的名称だ。しかしこの地域は最初から統一された国家を形成していたわけではない。むしろ最初は、ひとつの小さな移住地から始まった。

南方大帝国の末期、退役兵・鉱山技師・司祭・商人・移住農民がこの地に定着した。彼らが選んだのは現在の西南丘陵・上流河谷だった。

なぜ西南か。答えは地形にある。Preakvoの源流域周辺には石材が豊富で、丘頭に城塞を築きやすく、周囲を谷と傾斜に守られ、南方の大帝国との街道(後のVia Ludovicia)がつながっていた。農地には恵まれないが防衛には向く。鉱山もある。移住者が最初に根を張る場所としては申し分なかった。

この西南丘陵の核心都市がCapocivitato——「丘頭の都市」という意味のRomániço由来の地名である。ここに最初の司教座が置かれ、法学校が建ち、石造の行政庁が整備された。北ロマンス世界で最も古い都市文明はここに根を持つ。

Romániço話者の間に今でも生きている言い回しがある。

Ilzaloは首都だが、Capocivitatoは母である。
標準語は王と市場の言葉、Romániçoは石と法の言葉。

この言葉は単なる地域の自慢ではない。古代ルドウィキア核が西南丘陵にあったという歴史的な事実が、何百年も後の現代語にそのまま残っているのだ。

古代ルドウィキアの俗ラテン語——エスペラント祖語——はここで生まれた。在地のゲルマン系集団との接触の中で、ラテン語の屈折語尾が摩耗し、ゲルマン系の音韻感覚と語順の癖が混じり込み、後の北ロマンス諸語すべての共通祖先となる言語が形成されていった。

この段階ではスラヴ語もヴォラピュク語系も、まだほとんど影響を与えていない。基層はあくまでもラテン語とゲルマン語だった。


3. 北ロマンス諸語の拡大——西南から中央盆地、そして東方へ

西南丘陵で生まれた北ロマンス語話者は、やがてPreakvoに沿って北へ広がった。

第一の拡大は中央盆地への進出だった。西南の丘陵核は防衛には向くが、広大な農地には恵まれない。Preakvoの中流域——現在のIlzalo周辺——は氾濫原の肥沃な土地であり、川沿いに市場が発達し、交易の結節点として早くから賑わいを見せていた。

しかし、中央盆地が「首都」の場所になれた理由は農地だけではない。より決定的なのは交通の利便性だ。Preakvo中流は、西方内陸商業圏(支流・旧河道・倉庫)、東方山地(鉱山と峠への入り口)、南方平原(穀倉地帯)、北方沿岸(漁港と北の海)、すべてに等距離でアクセスできる。西南丘陵は由緒あるが、国土全体を統治するには片隅すぎる。中央盆地こそが「全部を束ねる場所」だった。

この時代、中央盆地ではPra-Esperanto(後世の学術ラベルで、当時の自称ではない)と総称される口語・文語が使われていた。商人向けの口語に近いLingwe UniversalaとPreakvo行政の格式ある文語Lingvo Universalaに分かれており、前者はSulzaloの河岸市場で、後者はBalzaloの行政庁で使われていた。

第二の拡大は東方山地への進出だった。東方の森林・カルスト地形・高原盆地に分け入っていった集団が現在のLinguna話者の祖先にあたる。峠を越えるたびに在地の集団と衝突・婚姻・共存し、地形によって谷ごとに孤立した。この「谷ごとの孤立」こそがLingunaの最大の特徴を生んだ——今でもLingunaは「谷の数だけ変種がある」と言われる生きた地質層だ。

一方、東方山地にはもうひとつの流れがあった。それがArcaicam Esperantom(これも後世の名称)の話者集団の祖先、後のハルヴェリア王国を築く人々だ。彼らがどんな言語を話していたかを理解するには、次の章で述べるヴォラピュク語系との接触を理解しなければならない。


4. ヴォラピュク語系との接触——征服と生き残りの二つの物語

古代のEsperantujoの東方・東南には、エスペラント祖語とは系統の異なる言語群——ヴォラピュク語系——を話す集団が広く分布していた。ゲルマン系の影響を強く受けた膠着語であり、現在のVolanioの母体となった言語だ。

この二つの言語集団は、東方山地の境界地帯で衝突した。そこで起きたことは、まったく反対の方向の二つの「征服と言語シフト」だった。

東方での出来事——エスペラント祖語系の集団(後のLingunaの祖)が、東方山地に住んでいたヴォラピュク語系の集団を征服した。被征服側はやがて征服者の言語に乗り換えたが、その文法的な骨格にはヴォラピュク語系の膠着語的な特徴が深く残った。この言語シフトした集団の子孫が、後にハルヴェリア王国を築き、彼らの言語がArcaicam Esperantomと呼ばれることになる。

フランスで起きたことに近い。ゲルマン系のフランク族がラテン系の地に乗り込み、最終的にラテン語から派生したフランス語を話すようになった——ただし、フランス語にはゲルマン語の語彙や音韻の基層がしっかり残っている。Arcaicamはその逆方向で、ラテン系語彙の骨格に、もともとヴォラピュク語を話していた集団の文法感覚が混じった形だ。

これがなぜ重要かというと、ArcaicamとLingunaが「姉妹方言」でありながら文体がこれほど異なる理由がここにある。両者ともエスペラント祖語系の言語だが、Arcaicam側の話者集団には言語シフトの基層があり、Linguna側にはなかった。

東南での出来事——逆に、エスペラント祖語系の集団の一部が、ヴォラピュク語系の集団(後のVolanioの祖)に征服された。しかしこの集団は、言語を乗り換えなかった。ちょうどバスク人が周囲のロマンス語系の征服者に何百年も囲まれながら自分たちの言語を守り通したように、征服者の言語を拒否しエスペラント祖語系の言語を保ち続けた。この集団の子孫が話す言語がIdiom Neutralだ。

Idiom Neutralが「ヴォラピュク諸語に分類される」のはこのためだ——言語の系統としては北ロマンス諸語の一員なのに、VolanioというヴォラピュクWelt(世界)の政治・文化の磁場に長年引き込まれてきた。現実のイディッシュ語がゲルマン語系でありながらユダヤ文化圏として別枠で語られるのと同じ構造だ。


5. 中世:ハルヴェリア王国の再統一と言語の地図

古代末から中世前期にかけて、Esperantujoは統一された国家を持たなかった。西南の司教都市、中央盆地の交易都市、川沿いの城郭領、東方山地の要塞王国、北方沿岸の漁民共同体——それぞれが独立した勢力として並立していた。

この分裂を終わらせたのがハルヴェリア王国だ。

ハルヴェリア王国は東方高原を拠点としていた。前章で述べたとおり、この王国の祖先集団はもともとヴォラピュク語系の集団を征服し、ラテン系の言語に乗り換えた人々だ。彼らの話す言語——後に「Arcaicam Esperantom(古い〔エスペラント〕)」と後世に呼ばれることになる言語——は、エスペラント祖語系を基盤としつつも、膠着語的な性格を強く残した独自のものだった。

ハルヴェリア王国がキリル文字圏・東方教会圏に属していたことも重要だ。再統一後、国内の多数派はラテン文字圏・西方教会系だったため、王国は書記体系をラテン文字に切り替えた。このとき、キリル文字からラテン文字への翻字慣行の痕跡がArcaicamの正書法に焼き付けられた——/f/をphと書く、/v/をwと書く、c+iの組み合わせを避けるといった癖がそれだ。さらに興味深いことに、Volanio側のヴォラピュク文化圏から伝わった「ヴォラピュク式表記(Volapük encoding)」——キリル文字と字形が似たラテン文字を同じ音に対応させる慣習——も同時に混入した。Arcaicamの正書法は、書いた文字を見るだけでこの王国の来歴が読めるようになっている。

さて、問題はなぜハルヴェリア王国が首都を西南の古都Capocivitatoではなく、中央盆地のIlzaloに置いたかだ。

答えは地理にある。西南丘陵は由緒ある古都圏だが、国土の南の端に偏りすぎている。Ilzaloは北のNorda Marへ向かうPreakvoの中流に位置し、西方商業圏・東方山地・南方平原・北方沿岸のすべてへのアクセスが等距離に近い。東方の山岳王国が全国を支配するなら、首都は「守りやすい場所」より「すべてを束ねられる場所」でなければならなかった。

遷都の結果、首都Ilzaloには様々な言語話者が流れ込んだ。東方高原のArcaicam、中央盆地のPra-Esperanto(Lingwo Universala/Lingvo Universala)、南方の商人、東方山地の職人、北方の魚商人。これらが混ざり合い、新しい首都のコイネーとして生まれたのが近世エスペラント——現代標準語の直接の母体だ。

「エスペラントは全員が二番目の母語で、第一の母語は誰も持っていない」というIlzaloの格言はこの成り立ちを端的に示している。

この中世の時代、言語地図はおおよそ次のようになっていた:

  • 西南丘陵:Old Romániço(古語)とその後継Romániçoの前身
  • 中央盆地:Pra-Esperanto(Lingwo/Lingvo Universala)
  • 東方高原・山地:Arcaicam Esperantom(法語・誓詞)とLinguna(谷の口語)
  • 北方沿岸:ゲルマン系の古い沿岸語(後のFolksstemの前身)
  • 南東外縁:Idiom Neutral(Volanio側の支配下)
  • 学者・聖職者の言語:偽ラテン語(Scholar's Latin)——どの地域でも上層の書き言葉として機能していた

この最後の「偽ラテン語」については次章でもう少し詳しく見る。


6. 近世:偽ラテン語と地域語のせめぎあい

中世を通じて、聖職者・法曹・行政官・学者は「ラテン語」を使い続けた。しかし発音では、屈折語尾はとっくの昔に摩耗して聞き取れなくなっていた。実態としては、ラテン語の語彙に各地域の口語的な語尾変化をつけて読む、というハイブリッドな言語実践が広まっていた。これが「学者語(Scholar's Latin)」あるいは「偽ラテン語(Pseudo-Latin)」の実態だ。

この偽ラテン語の文法的基盤に採用されたのが、ほかでもないOld Romániço圏の文法——単一活用型、名詞と形容詞の明確な区別、簡素な格体系——だった。古代Ludovicia核を持つ西南丘陵の文法が、皮肉にも全土の書き言葉の標準として採用されたわけだ。

近世になると、大陸全体に信仰の対立が広がった。北方・中央の都市は説教重視・ゴシック調の節制文化へ、西海岸と南部(Romániço圏の流れを汲む地域)は伝統的な儀礼・祭礼を重視する文化へと分かれていった。この対立は時として内戦になり、Volanioを巻き込んだ紛争の火種にもなったが、Preakvoの水運と通商の利益を重視する商人たちが繰り返し停戦と妥協を取り持った。

正書法と宗派の歴史的な対応という、少し専門的だが面白い問題もここで現れる。

/k/をkと書く傾向は中央・北方の都市に多い。/k/をcと書く傾向は西南のカトリック色の強い地域に多い。Arcaicamの書記特徴(ph・wの使用、c+i回避)は、東方教会圏からラテン文字圏への切り替え後の痕跡だ。さらにArcaicam圏を通じて継承された「ヴォラピュク式表記」の層——xのような文字の使われ方——は、VolanioとのいにしえのGeistkontakt(精神的接触)の痕跡として読める。

「その文章の正書法を見れば、書いた人物の宗教的・文化的帰属がわかる」という学者の言い方があるが、近世のEsperantujoにおいてこれは冗談ではなく本当に機能していた。現代人がそれを日常的に意識しているわけではないものの、選挙前に「あの地域はc書きだから〜」という通俗的な地域分析がSNSに流れるくらいには、その記憶は生きている。

この時代の言語地図はおおよそ次のようになっていた:

  • 首都Ilzalo圏:近世エスペラント(混成コイネーとして定着)、PopidoがSulzaloで育ち始める
  • 西方水運・商業圏:偽ラテン語系の商業文語(後のMundolinco・Esperanto 1894の前身)が倉庫台帳・橋税記録・商業裁判に広がる。口語はまだ多様
  • 西南丘陵:Romániçoが口語として確立
  • 東方山地:Arcaicamが石碑・法語として使われ続け、谷ではLingunaが生きる
  • 北方沿岸:ゲルマン系三語(Folksstem・Nordien・Nordienisk)の前身が地域ごとに発達
  • 学者・聖職者:偽ラテン語、その成文化されたものとしてUniëspoが整備されていく

7. 近代:革命政府と「もう一つの標準語」の挫折

近代に入って産業革命が来たとき、Esperantujoが持っていた地理的条件は良くも悪くも働いた。

良い方向には——東方山地の石炭と鉄鉱石、南方平原の穀物、北方沿岸の水産と造船、西方水運圏の倉庫と流通網が、Preakvoの水運と古代街道に沿った鉄道敷設によって一つの経済圏に結びついた。鉄道は古代の放射状街道をほぼなぞりながら敷設され、それは今日も幹線鉄道のルートにそのまま重なっている。

悪い方向には——工業化が急激であったため、東方山地の鉱山町・北西の工場都市に農村から大量の人口が流入し、過酷な労働条件と社会問題を生んだ。旧工業地帯は後に「Rusta Zono(錆びた帯)」と呼ばれることになる。

そして近代のEsperantujoで最も言語史的に重大な出来事が起きた。

西方水運・商業圏の自治運動とEsperanto 1894の問題だ。

西方水運・商業都市群——Porturboを中心とした一帯——は、近代に急速に経済的な重要性を高めた。Preakvoを経由して全国の物資が集散し、倉庫・橋・水門・貨物駅・金融が集中し、労働組合が生まれ、急進的な印刷物が大量に刷られた。

ここで育った政治的エネルギーは、王政的な中央集権体制への不満と結びついた。ポイントは、この都市圏が「海港都市の自由都市」ではなく、内陸商業都市の反中央運動だったことだ。ベネチアやラグーサのような外洋に開かれた海洋都市共和国ではなく、ライン川・オドラ川・ヴィスワ川沿いの内陸商業都市の自治運動に近い——大河の水運と市場橋と倉庫と鉄道を背景にした、陸の反乱だ。

この自治運動が一時的に権力を掌握したとき、革命政府はEsperanto 1894を全国標準語として正式採用した

Esperanto 1894は、西方水運・商業圏の偽ラテン語系文語を基盤に整備された近代行政文語だ。語彙は単純にIdo由来ではなく、地域口語の文法・機能語にラテン語系語彙を載せた形をとっており、倉庫台帳・鉄道規則・法令草案・行政教育のために体系化されていた。

しかし首都機能が中央盆地へ回帰すると、Esperanto 1894は廃された。現在の標準エスペラントが「再整備」という形でその地位を取り戻した。

この挫折は深い傷を残した。「一度は我々の文書の言葉が国の言葉になりかけた」という記憶が西方水運・商業圏の自治意識の核にある。毎年の記念集会でこの記憶が語り継がれ、現代の政治的文脈でも「我々の言葉で我々の制度を語る権利」という主張として繰り返し現れる。

Ko fara vu sur nose tero?(我らの土地で何をしている?)というFarelixの表現が、文化的・領土的な侵害を訴えるSNS投稿の定番引用として今も使われているのは、この歴史的な記憶と切り離せない。


8. 現代の言語地図——どこで何語が話されているか

以上の歴史を踏まえた上で、現代の言語分布を地域ごとに見ていく。

中央盆地・首都Ilzalo圏

標準エスペラントが共通語として機能する。これは古代Pra-EsperantoとArcaicam Esperantomが首都コイネーとして混成した近世エスペラントの末裔で、学者語的な語形を書記語彙に残しつつ、ゲルマン語起源語やロマンス語由来語も豊富に含む。

首都の下町SulzaloではPopidoが話される。Lingwe Universala系の在地層とArcaicam系の庶民語が河岸市場で混じり合って生まれた都市方言で、語尾が大幅に脱落し、古い祈祷文や法文書の言い回しを皮肉やジョークとして再流用する文化がある。「Popidoで愛を語れる者は、Uniëspoで法を語れる」という言い方があるくらいだ。

若者・水運圏・旧工業地帯にはGavaroというストリート語がある。Popido・Gavaro・Volapük語系のミックスから生まれ、krokodili(場の共通語を使わず別の言語で話す)、kabei(離脱する・去る)、mojosa(かっこいい——Volapük語mojo由来説がある)などの独特の語彙を持つ。

東方山地・高原圏

Lingunaが生きる。東方山地・高原一帯を基盤とする屈折語的な地域語で、Slovio(スラヴ系)との長期接触の影響を受けて、子音連結・語末子音・格体系の保持が豊かだ。谷の数だけ変種があり「生きた地質層」と表現される。

ArcaicamとLingunaは中世に近隣で発達した姉妹方言だが、現代語としてのArcaicamはもはや存在せず、石碑・誓詞・修道院の典礼・歴史劇・格言の中にのみ生き続けている。東方山地の古い石碑に最も多く刻まれている格言はTempom phughat.(時は逃げる)だ。

東方教会圏の修道院ではSperantu(Mezepoka Esperantoの別名)がいまも典礼語として使われる。語末ǝ→uという変化を経た中世の文語で、「Sperantuを読める者は死者と語れる」という言い回しが残っている。

西方水運・商業圏

Idoが西方水運・商業都市圏の地域語として生きている。海港語ではない——これは重要な誤解の訂正だ。Idoは河川物流・倉庫・橋・市場・職人街・労働組合の言語であり、大型外洋港の言葉ではなく、内陸商業都市が育てた言語だ。

Porturboは最大の河港都市として特別な存在感を持つが、Ido圏全体を「港町群」として描くのは間違いで、Marketpontoの市場橋・Pordomarketoの関門市場・Laburboの労働者街・Mestierurboの職人街といった内陸商業・工業の地名が圏内の文化をよく示している。

近縁のFarlingo/Farelixは西方内陸商業路で育った商業語だ。Farelixのnose tero(我らの土地)という表現への強い愛着は、西方自治運動とEsperanto 1894の歴史的記憶を今に引き継いでいる。

Mundolincoは口語としてはすでに死語だが、契約書・橋税台帳・商業裁判記録の中に古い偽ラテン語系の地名・施設名として生き残っている。現在時制を独立して保持するという他の北ロマンス諸語と際立って異なる特徴を持つが、なぜこの地域だけが現在時制を失わなかったのかは今でも研究上の謎だ。

西南丘陵・古代Ludovicia核

Romániçoが生きる。西南丘陵・上流河谷・古代Ludovicia核に根づく現役の地域語で、Old Romániçoの直系後継だ。語末ǝ→aという独自の音韻変化を経て、名詞語尾-oと形容詞語尾-aを区別する体系を持つ。

よく誤解されるがRomániçoは海岸の言語ではない。古代のCapecivitatoは「岬の都市」ではなく「丘頭の都市」であり、Romániço圏は丘陵・谷頭・水源・石造古都の言語だ。

近縁のOmoは西南丘陵外縁から西方内陸、さらに北西都市部へ広がる変種群を持つ。

北方沿岸・島嶼・潟湖圏

北方沿岸はひとつの言語で括れない。地域ごとに三つのゲルマン系言語が分布している。

Folksstemは北西島嶼・鳥岬・古漁村を地盤とする最古層のゲルマン系言語で、Fojlstad(海鳥の町)・Husesdor(館門地区)・Fojlsfluger(鳥翼岬)のような地名がこの言語から来ている。

NordienはAaron Chapmanによって記述されたゲルマン系言語で、中央北岸の漁港・水産加工町・船修理場に分布する。Folksstemとは別の言語として扱う。

NordieniskはNordienを基に北東の潟湖・砂州・河口交易地帯で発達した変種で、より都市的・文書的な性格を持つ。

首都の人間はこれら三つをまとめて「北岸語」と呼びがちだが、北岸の住民はきっちりと区別している。

北東境界Slovio圏

スラヴ語系のSlovioが湖沼・森林・低丘陵・国境城塞町に分布する。Lingunaとの相互借用が著しく、Granicagrod(国境城塞町)・Rekagrod(河岸町)・Ozerogrod(湖畔交易地)などの地名がこの言語から来ている。

南方平原・穀倉圏

基本的には標準エスペラントの影響が強い農業地帯。Volanioとの国境沿いの南東部では日常的にVolanio語系との接触がある。


9. まとめ——地理は歴史であり、歴史は言語である

ここまで古代から現代まで追ってきて、一つの原則が繰り返し浮かび上がる。

言語の分布は偶然ではない。地形が人の動きを決め、人の動きが接触を決め、接触が言語を変える。

西南丘陵に最初の移住地ができたのは石材と防衛の地形的条件からで、Romániçoがそこで生まれた。中央盆地が首都の地になったのはPreakvoの交通結節点という地理的条件からで、近世エスペラントと標準語がそこで生まれた。東方山地がLingunaとArcaicamを分けて育てたのは峠と谷の壁が言語の孤立を生んだからで、ハルヴェリア王国が東方山地に拠点を置いたのはその山岳防衛力の地形的条件からだ。北方沿岸が三つのゲルマン語系言語に分かれているのは、低い海岸・島嶼・潟湖という地形が共同体を細かく分断したからだ。

そして最も興味深いのは、歴史的に一度だけ「地理を無視した言語政策」が試みられたことだ。西方水運・商業圏の革命政府がEsperanto 1894を全国標準語にしようとしたとき、その試みは地理的条件を反映していなかった——中央盆地を物理的に支配せずに、Preakvo沿いの商業都市群の文書言語を全土に押し広げようとした。それが失敗した理由のひとつはそこにある。

Ilzaloの言い回しで締めよう。

会議では未来を語り、酒場では過去を語り、本当に決まるのはPreakvo沿いの散歩道だ。

大河の流れに沿って歩いていれば、自然とわかることがある。

地名の由来

地名の由来

地名 所在地域 由来する言語 構成 意味
Esperantujo 地域全体 Esperanto Esperanto + 接尾辞 -ujo 「Esperantoの地・国」
Preakvo 南方山地・西南丘陵から中央盆地を経てNorda Marへ流れる大河 Pra-Esperanto+Esperanto fallback Pre-「大きい」+ akvo「水」 「大きな水」。Pra-Esperanto資料に水を表す語がないため、akvoはEsperanto fallback
Capocivitato 西南丘陵・上流河谷、古代Ludovicia核 Romániço capo「頭・頂」+ civitato「都市」 「丘頭の都市」
Via Ludovicia 西南丘陵と南方大帝国を結ぶ古代街道 ラテン語系 via「道・街道」+ Ludovicia 「Ludovicia街道」
Ilzalo 中央盆地・Preakvo中流域 Pra-Esperanto il「en la」+ zalo「salono」 「会館の中」。この表現が都市核の地名として固有化したもの
Sulzalo Ilzalo首都圏・河岸市場地区 Pra-Esperanto sul「sub la」+ zalo「salono」 「会館の下」。大河沿いの船着場・市場がある低地・下町
Balzalo Ilzalo首都圏・行政地区 Pra-Esperanto bal「sur la」+ zalo「salono」 「会館の上」。王宮・官庁・聖堂がある高台
Porturbo 西方水運・商業圏 Ido portu-「港」+ urb-「都市」 「港都市」。最大港市として固有化
Marketponto 西方水運・商業圏 Farlingo marketo「市場」+ ponto「橋」 「市場橋」。交易税を徴収する橋を中心とする地名
Pordomarketo 西方水運・商業圏 Farlingo pordo「門」+ marketo「市場」 「門前市場」。城門・港門前の市場を中心とする地名
Rusta Zono 旧工業地帯 Esperanto rusta「錆びた」+ zono「帯・地帯」 「錆びた帯」
Fojlstad 北西島嶼・鳥岬・古漁村のFolksstem圏 Folksstem fojl「海鳥」+ stad「町」 「海鳥の町」
Husesdor 北西島嶼・鳥岬・古漁村のFolksstem圏 Folksstem huses「館」+ dor「門」 「館門」
Fojlsfluger 北西島嶼・鳥岬・古漁村のFolksstem圏 Folksstem fojl「鳥」+ sfluger「翼」 「鳥翼」。鳥の翼のような形をした岬の地名
Granicagrod 北東境界Slovio圏 Slovio granica「国境」+ grod「町・城塞都市」 「国境城塞町」
Rekagrod 北東境界Slovio圏 Slovio reka「川」+ grod「町・城塞都市」 「河岸町」
Ozerogrod 北東境界Slovio圏 Slovio ozero「湖」+ grod「町・城塞都市」 「湖畔交易地」

人気順のコメント(0)