タイトルどおりである。わたしは不完全な文字、不便な文字が好きだ。
とあるひとが、「〇〇文字は規則性がないから美しくなくて、好きではない」みたいなことを言っていた。そういうひとも多いのかもしれないが、わたしとは嗜好が違うようである。
わたしはつづりと発音の乖離や、1対1対応しない発音と表記、黙字、字のなりたちがわからない、そして言語の音韻を完全に表記できない、などの要素が好き好き大好き、愛してるって言わなきゃなんとやら、であるから。
文字体系のなかでは漢字が一番好きなのだが、ここで表語文字について論ずるとややこしくなるので好きな表音文字について書くと、たとえばチベット文字が好きである。(おいこら自然言語ではないか、と憤死しながらわたしの実家に石を投げつける人も多かろうが、最終的に架空文字の話になるからいったん正座して緑茶でも飲んでほしい。)
チベット文字は、ハングルのように子音字のかたちが調音器官と関連しているわけでもない(次以降に述べる文字体系でもそうである)。しかも、文字と発音がいちじるしく、それこそカイラス山と高尾山の山頂どうしのごとく、乖離している。たとえば<bod skad>と書いたとき、ラサでは/pʰøː kɛː/(声調略)と読むのである。何てこと。これはとてもいとおしいものであって、そのいとおしさはベックスコーヒーのカレーのようである。
<bod skad>は一定の規則により発音を導ける単語だが、なんと規則にのっとらない例外的な発音も多数あるのである。表音文字なのに読み仮名が必要なレベルであって、まことにあっぱれであって、オリンピックなら9.5点である。
加えてタイ文字も好きである。これは、詳しい説明は省くが、同じ発音に複数の書き方があることがきわめて多く、例外的な発音も黙字もあり、声調の表記も非直感的で複雑である。声調記号はあるが、第一声調記号は第一声、第二声調記号は第二声…ときれいに対応するわけではない。
ほとんど使わない子音字というのもあり、とくにサンスクリットの/jh/に対応する文字は「今も使われてるの?」とタイ人が質問するほどである。実際に/jh/の文字が使われるうちでよく使う単語をあげると「シャチ」「死刑執行人」のみである。何てこと。これもきわめてあっぱれといえる。
また、形はあまり好きではないが目をみはる文字としてタグバヌワ文字をあげておきたい。これは、詳しくは知らないのだが、「/i/と/e/、/u/と/o/は文字の上で区別されない」「音節末子音はいっさい表記されない」のであって、あまりにも感動的であって、全米が泣いて江東区が全部水没する蓋然性が高いものである。
このように、使いづらい、読みづらい文字体系のどこが好きか。そういわれると困るのだが、これはわたしの「言語の不条理な点を愛する」という嗜好に起因するものとおもわれる。
そも、イヌを/inu/だの/dog/だのと言う理由はどこにもない。まったく恣意的な音の並び。そこがいい。動詞の活用の種類が何個もあっても、母語話者以外には運用が大変である。語源にしても、なぜメンチを切ることを「メンチ」と言うか、なぜサボテンを「サボテン」というか、不明であり、もとは何語なのかもわからない。
その「わからない」「不便」が、いいのだ。
このような不条理のなかには、突き詰めれば理由が説明できるものも多数ある。さきにあげた黙字やつづりと発音の乖離がなぜ存在するかについて、説明をするのは容易である。しかし、わたしは「(一見しただけでは)わからない」を楽しみたい。
合理的な言語や文字を作りたい、と願う人工言語作者も多かろうが、わたしはそうはしない。文法にしろ語彙にしろ音韻にしろ、不規則な点、意味分からん点を取り入れているし、それだけでなく、文字にも不条理な点を当然入れている。子音のあらわしかたにつけても、ハングルのように説明可能なものではなく、<j>に有声化の記号をつけると<h>になったり、/ei/と/eɯ/が文字の上で区別できないなどしているが、これはベックスコーヒーのカレーに使われているような、文字体系の「スパイス」として、私の文字舌(いわゆる、字ベロ)をねっとりと充足させているものである。
どうも言語において合理性、緻密さ、説明可能性を好む人が少なくない印象を受けるのだが、わたしは不条理さや説明が難しいことが好きだ。なぜそうおもう、のかはわからないが、ともかく、わたしはこれからもそういう文字体系や言語をつくりつづけたいのである。
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