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Fafs F. Sashimi
Fafs F. Sashimi

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リパライン語の世代差

 言葉が世代によって変わることなどというのは実例を挙げなくても分かってくれると思うが、私の経験を話すなら高校デビューをした当時に飛び込んできた「それな」という言葉、私には完全な衝撃だった。
 神奈川県民なら分かってくれるかもしれないが、「そうだよな」という意味の同意の言葉はそれまでもっぱら「だべ?」だった。かくして、当時の私は高校生という世代の突入により、言語態の変化を求められるようになったのだった。

 世代間の言語差はこんなミクロなことばかりではない。「ら抜き言葉」など、社会的にも注目を集めるものがある。
 もちろん、リパライン語にも、そのような世代差での言葉遣いの違いが存在している。今回は、特に現代リパライン語の世代差に焦点を当ててみたい。

世代のお話

 言語の話に入る前に、ユエスレオネの世代がどのように分類されているのか知っておかなければならないだろう。
 主にユエスレオネの一般的な世代は以下の5つに分かれる。

世代名 年代 特徴
大災害前世代
fontlyesejtiler
~2000年 ユエスレオネ連邦成立以前に生まれた人々のこと、革命の時代を過ごした人々
空生まれ
dyrilen voleser
2000年~ 最初はユエスレオネ連邦成立以後に生まれた人々のことを指していたが、後世では初期のユエスレオネ生まれを指す
第三政変世代
(dqate) lertasarjurmiler
2020年~ 第三政変の時代を過ごした人々のこと、学生運動の時代であり、既成の価値に対する反乱の時代であった
宇宙世代
konalcoviler
2030年~ ファルトクノア共和国が成立し、宇宙開発が速急に進められていくソラへの希望の時代
地上奪還世代
konavimensiler
2050年~ モンスターに占領された地上を奪還しようとする時代、リパコール政権が成立し、野望と活力に満ちたユエスレオネが展開される

 ちなみに「大災害前世代」と「空生まれ」に関しては、世代の名称と言い切れない細かいニュアンスが歴史的に付けられている。詳しくはこの記事を参照されたい。

世代差

一部の言葉遣い

 言葉の世代差として一番簡単に挙げられるのは、単語や表現の違いだろう。
 例えば、後置属格語尾の “ -'dy ” を “ -'d y ” と言ったり、形容詞化・副詞化語尾の “ -en ” / “ -on ” を使わずに後置詞の “ lut ” / “ lot ” を使ったり、古い緩衝音の名残が残る “ haltxerjer ” を “ haltxerger ” の代わりに使ったり、古臭い言い方はいくらでもある。

 肩を叩かれて “ plaxci! ” なんて言われた暁には、「ユエスレオネ革命時代の人間かよ」と若者にボヤかれるに違いない(普通は “ cespal nace. ” と呼び掛ける)。

ヴォルシ的表現

 ヴォルシ的表現と言葉の世代差には、社会的なものが強く影響している。ヴォルシ( volci )が何なのかは、過去の記事で取り上げているので、そちらを参照されたい。

 ヴォルシ的な表現は、古くから使われてきた。“ anlirXy ”(ケートニアー男性)、“ faqila ”(ケートニアー女性)、“ flarr ”(ネートニアー男性)、“ faula ”(ケートニアー女性)という人の性質の扱いだったり、単に“ kertni'arsti! nertni'arsti! ”(そこのケートニアー/ネートニアー!)という言い方は一般的であった。しかし、ケートニアーかネートニアーかは、本人がウェールフープを発動しない限りは外見だけでは分からない。このため一般的に呼びかけとして用いる場合は、ヴォルシ的な偏見に基づいた判断であることが多かった。

 レシェール・イスナシュテイユが、19世紀末に発表したヴォルシ主義への反論は、それ以降の近代ファイクレオネの反ヴォルシ主義の傾向が高めていった。
 しかし、その取り組みが定着し始めたのは、ユエスレオネ連邦成立以降のことであり、特に大災害前世代はヴォルシ的表現が口をついて出がちである。
 なので、次のような会話も若者との間で交わされることが一般的だ。

" Ej, kertni'arstanasti! Co celes milio xlaiserl. "
" Ja, firlex. lirs, pusnist volcieranasch lkurferl fal diepojastan plax. "

「おい、そこのケートニアー! 注文したものはまだか」
「はい、分かっております。ですが、お店でのヴォルシ主義的言動はお止め下さい」

 とはいえ、若者としても第三政変以降は、自らのシルシらしさを表示したがる文化的傾向を見せている。ただし社会のモラルには沿っているので、一般的な若者はヴォルシ主義的発言をすることはほとんどない。逆に無意識にヴォルシ的な言動をしつつ、指摘されると反論しつつも自制する大災害前世代のことは、可愛らしいと思っている傾向があるようだ。

主動詞から離れた主格・対格語尾

 リパライン語では、口語では主格語尾( -'s )と対格語尾( -'i )を省略することができる。しかし、主動詞から離れた主語と目的語に対しては省略が許されない場合がある。この法則に関する詳細は、2020年5月10日に行われた第四回「リパライン語を考える会」で詳しく議論されているので詳しくはこちらの記事(事前資料議事録)を参照されたい。
 この格語尾の省略は、実は世代によって許容度に違いがある。新しい世代の人間ほど許容度は高いとされている。これはユエスレオネ革命以降の紛争の中で、連邦にテロ攻撃を仕掛けてきたXelkenに対する反感が高まったためである。Xelkenは古典リパライン語を話し、古典語では格語尾の省略が許されていない。このため、彼らが話す標準現代リパライン語にはどうしても格語尾が付きがちなのだ。
 『異世界転生したけど日本語が通じなかった』の第七部に登場するXelkenの少女、シェルケン・フィレナは次のように現代語で話している。

" Edixa mi's ny la lex'i xelvin lkurf. Mi ――"
「私はそれを既に言ったはずだ。私は――」(S7#341)

 標準的な現代語では、普通は “ Edixa mi xelvin lkurf ny la lex. ” となるはずだが、語順もSOVになっていて格語尾もくっついてきている。
 古い世代の人間が、格語尾の省略に厳しいのは歴史的な言語の変化に基づくものである。しかし、このような社会的な状況の変化によって、より新しい世代の人間が格語尾の省略に慣用になっていったという背景は間違いないものである。

 “ “mi stynidon varimel ve akranti si'd kranteerl.” ” という文章があったとする。この “ mi ” には “ -'s ” を付けたほうが丁寧な感じはするが、やはり若者には取ったほうが今らしい言い回しに感じるようである。

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