Migdal

stm530
stm530

Posted on

ビアムインにおける熟語、及びその省略形を作る際の規則

「熟語」と「句」

熟語の作り方についての話をする前にまず、熟語という語の定義をしっかり確認しなければなりません。
ビアムインにおける熟語とは、「複数の単語から構成されていながら、単一の単語と同じ振る舞いをする一連の語」と言えます。

似たような概念に「句」があります。
句とは、「複数の語から構成されていて、文法的にいくつかのパーツに分解できる一連の語」です。

これだけ言っても分かりにくいと思いますから、具体例を挙げてみます。

① ya si yun lun hu si lun.
② ya si lun ba nui si lun.

この太字の部分で言うと、①は熟語「本」、②は句「食べ物の絵」です。②においては機能語 ba が句を区切る役割を担っているので、「文法的にいくつかのパーツに分解できる」ということが分かりやすいと思います。
また例えば、先ほどの太字部分について、
「①' その本は良い」
「②' その絵は良い」
「②'' その食べ物の絵は良い」
という3つの文について考えてみましょう。

①' その本は良い。

yun lun hu ya si yan.
yun lun ya hu si yan.※

②' その絵は良い。

lun ya si yan.

②'' その食べ物の絵は良い。

lun ya ba nui si yan.
lun ba nui ya si yan.※

①' の2番目の文は不可です。熟語「本」は熟語 yun lun 「文字や絵が書いてある紙」、単語 hu「束になった」からできている熟語ですが、ここにyaを挿入すると「束になった、『その文字が書いてある紙』は良い」となり、「本」の意味は消えてしまいます。

②'' の2番目の文は不可です。この場合、yaが指示する語は nui ですから、「『その食べ物』の絵は良い」となり、意味が変わってしまいます。

このように、ひとまとまりで言及できる(する必要がある)語「熟語」、分割されていて、ひとまとまりで言及できない語「句」です。

ちなみに lun ba nui「食べ物の絵」には機能語 ba が使われていますが、「一連の語の中に機能語が使われている⇔それが句である」かどうかについては、そうとも限りません。
後述するように、「機能語が使われている⇒それが句である」については正しいのですが、前置詞も語を分割させる働きがあるため、前置詞を含む一連の語は句である可能性があります。
ただし、前置詞としての意味を持つ語であっても、前置詞としてではなく形容詞として使っていた場合、これは語を分割させないので、注意が必要です。

ひとまず、「句」と「熟語」の考え方はわかったでしょうか。それでは本題です。


基本的な熟語の作り方

ビアムインで熟語を作る際の規則は、基本的にはトキポナトキマ(toki ma、トキポナをベースに実用性を向上させた、国際補助語志向の言語)とよく似ています

基本的に、名詞(+形容詞+...+形容詞) というような作り方をします。機能語、前置詞(前置詞としての意味を使った場合)は熟語の構成要素にはなりえません

名詞としての意味がある語には必ず形容詞としての意味があり、その形容詞としての意味は、名詞としての意味と密接に関係しています。

aという語の名詞としての意味が「A」だった場合、形容詞としての意味「Aの」を必ず持ちます(それ以外の意味を持つこともあります)。

したがって、単語 ab の形容詞としての意味が AのBの のみであった場合、熟語 a b の根源的な意味は「BのA」となります。

また、その熟語 a b が名詞としての意味「C」を持つことになった場合、同時に熟語 a b は形容詞としての意味「Cの」を持ちます。

何語連なってもこの構造は変わらず、これによりビアムインは語を連ねて熟語を持つことができるようになっています。

例えば、bia sai の名詞としての意味は「脳」ですが、形容詞としての意味は「脳の」です。

xxx bia sai という句は「脳のXXX」を意味する名詞、および「脳のXXXの」を意味する形容詞に(自動的に)なります。

語の意味が本質的に何を指すものであるかは先頭の語で判断します。

例えば 「楽しいこと、娯楽、楽しい」 yan bia は「良いこと+感覚の」ですが、これは「感覚的に良いこと、感覚的に良くなる」という構造です。

対して 「好きなもの、気に入る、好きな」 bia yan は、「感覚、思考+良い」ですが、これは「良いと思うこと、良いと感じること」という構造です。


省略形

また、熟語が長くなってしまい、省略したとしてもそれが他の語を指す可能性が低い場合は省略形が容認されます
単語が少なく、語の複合が圧倒的な頻度で行われるビアムインにおいて、熟語を省略することは文章の長大化をある程度抑えることができると思います。

省略は単語単位で行われ、単語のつづりが変わることはありません。例えば、 bia muin を省略して bi mubuin とすることはできません。
省略形を作る際にどの単語を残すのか、ということに関しては、省略したい語の構造、根幹となる意味、他の語との衝突の可能性などを総合的に考え、今のところは人力で決めています。
また、これは語感や響きも関わってくるので一概には言えませんが、省略形の単語数は偶数になることが推奨されます。

例えば、「王国、立憲君主制国家」を指す語は gan la sai la sai din dun です。
この語を分解すると、

gan la sai la sai din dun(王国、立憲君主制国家){
  gan la sai(国){
    gan(領土)
    la(属する)
    sai(人)
  }
  la(属する)
  sai din dun(王、君主){
    sai(人)
    din dun(高貴な、偉い、高い位置にある){
      din(固体、存在する)
      dun(大きいもの、上、大きい、高い)
    }
  }
}

となります。

この語は7単語で、実用するにはかなり長いです。そこで、省略形を作ってみます。
まず、gan la sai「国」も使用頻度の割に3単語は長いと感じられるため、この語の省略形も発生します。


(gan) (la) ((sai))→gan la

省略形の字面通りの意味は「属する領土」となり、完全ではありませんが、大意は汲み取れます。
次に gan la sai la sai din dun を、「国」の略称 gan la も踏まえて略してみます。


(gan la (sai)) ((la)) ((sai) din dun)
→ gan la din dun

省略形をそのまま読み下すと「国(省略形)+高貴な」、すなわち「高貴な国、偉い国、高い位置にある国」というような意味になります。

そのような意味をもつ概念自体は存在可能ですが、現実社会で国を高貴か高貴でないか、偉いか偉くないかに言及するよりも、王国かそうでないかに言及するほうがおそらく正常なため、省略形としての意味がより主要である、とすることが可能です。


以上がビアムインにおける熟語を作る大まかな規則です。新しく出てきた熟語のでき方がよくわからない場合は、これを参考にしてみてください(もしくは、私が普通に間違っている可能性もあります)。 
 
ちなみに、ビアムインに関する最新情報は、以下の順番で出現することが多いです。こちらもご参考までに・・・

私の脳内

私のTwitter
↓または↑
ZpDIC
↓重要であれば
migdalで記事化

Latest comments (0)