この記事は、語学・言語学・言語創作 Advent Calendar 2023の7日目の記事です。
こんにちは、ふぃるきしゃです。去年も寄稿したのですが、あれからもう1年経ったんですね。光陰矢の如しとはよく言ったものです。
さて、今回は自言語の一つである labina を紹介しようと思ったのですが、ただ紹介しても面白くないですよね。ということでどうしようか色々考えていたのですが、スライムさんの3日目の記事を読み返していた時、批評の形式って良いな〜と思いました。しかし、私には他人の言語を批評できるほどの知見もありませんし、逆に自言語を批評してくれる人もいません。
そ! こ! で! 今回は自分で自言語の批評をしてみようと思います。何を言っているのか分からないと思いますが、文字通りの意味ですよ。どうやるのかって? それには、極秘ルートで用意したこちらの「記憶・認知ぶっこわし装置」を使います。高かったんですよね〜、これ。早速ヘッドギアを装着して、後は記憶を改竄した後の私に任せましょう。
それではポチッとな! ……ア、アバーッ!!!!
…………
こんにちは、ふぃるきしゃです。今回はふぃるきしゃさんという方から依頼されて、人工言語の批評に挑戦してみたいと思います。いやー、こういった経験は初めてなので緊張しますね。辛口評価でも全然OKだそうなので、張り切ってレビューしちゃうぞ!!
今回批評していくのは氏が制作されている人工言語、「labina」です。ふぃるきしゃさんは2017〜2018年ごろからこの言語を制作されているそうで、架空世界などは持たない個人言語として設計されているそうです。個人言語と言いますとシャレイア語などが真っ先に思いつきますが、labina にはどのような特徴があるのでしょうか?それでは早速言語の内容を見ていきましょう!
設計方針
人工言語は特定の個人や団体によって意図的に生み出されるものである以上、何らかの目的を持って作られています。そのため人工言語を批評する上では、目的をどのくらい達成できているか?という観点が重要となってくるでしょう。
labina の制作目的はどういったものなのでしょうか。ふぃるきしゃさんの個人サイトの説明によると、「『規則性』『簡潔性』『論理性』を向上させる」のが方針であるとのことです。また氏は直近でもこのようなツイートやこのようなツイートをされており、やはり「文法の簡潔性」や「論理性の向上(=曖昧性の排除)」を主眼に置かれていることが分かります。どうやら工学言語寄りの人工言語を志向されているみたいですね。工学言語と言いますと、ロジバンやイスクイルなどがありますが、それらとの差別化点があるのかは注目したいところです。そして labina では目標を実現するために具体的にような方策を盛り込んでいるのでしょうか。次に音韻や文法を見ていきましょう。
音韻
サイトの解説によりますと、labina の音素は以下の通りです。
- a /a/ i /i/ o /o/ e /e/ u /u/
- p /p/ b /b/ t /t/ d /d/ k /k/ g /g/
- f /f/ v /v/ s /s/ z /z/ c /ʃ/ j /ʒ/ h /h/
- m /m/ n /n/ l /l/ r /r/ q /w~j/
まあ無難なものが選ばれているな〜という印象を受けますね。5母音というのもありがちですし、有声性の対立や流音の区別など、特に際立ったところはありません。音素と綴りの対応はロジバンに近いような感じがしますね。ところが見てください、q を! 何とこれ、半母音だそうです。非円唇母音の前では [w]、円唇母音の前では [j] と読まれるそうですね。いやー、q はどこに行っても不遇な扱いを受ける運命なんですね……。
この時点では、まだ labina に大きな特徴があるとは言いがたいですね。『簡潔性』『論理性』を向上させるという方針からして、やはり重点を置いているのは文法なのでしょうか。
文法
お次はいよいよ文法を見ていきましょう。まず文法解説に目を通してみて思ったのは、だいぶロジバンに影響を受けているな~ということですね。一方で、labina 独自の特徴と言える点もいくつか存在しています。一つずつ見ていきましょう。
述詞
自然言語における名詞や動詞といった内容語に相当する単語は、 labina では「述詞」と呼ぶそうです。述詞は語幹と語尾から構成されていて、名詞や動詞のような形態的な区別はないとのことです。「内容語に品詞の区別がない」という点は、ロジバン、イスクイル、トキポナといった工学言語の共通の特徴であるように思います。「簡潔性」を追及するという labina の方針からして、この特徴を採用するのは自然な流れに感じられますね。
これらの述詞は、1個から5個の項を取るようですが、その項の表し方はロジバンと同じものを採用しているみたいですね。つまり、主格や対格といった具体的な意味を持った格ではなく、番号で項を管理するということです。文法解説の例を借りると、以下のような感じです。
- fum-「x1 は猫」
- nel-「x1 は白い」
- gar-「x1 は x2 を食べる」
- mad-「x1 は x2 を x3 に与える」
- sel-「x1 は x2 から x3 を経て x4 に行く」
何というか、見たまんまロジバンだなあという感じがします。まあ、項の取り方はロジバンとは少し変えているようですが……(例えばロジバンだと「猫」に相当する述語は「x1 は x2(種類)の猫である」のような意味を持つ)。これも簡潔性・論理性を追求するという方針の一環なのかもしれません。
ですが labina がロジバンと大きく異なっている点は、そのまま x1 から x2 までの項を埋めれば文が作れる、という訳ではないという点ですね。次の項目で詳しく解説しましょう。
焦点化
ここが labina の文法において個人的に一番分かりづらいな~と感じた部分ですね。どういう文法なのか、ロジバンと比較してやると分かりやすくなると思います。
ロジバンでは、citka「x1 は x2 を食べる」という述語を lo と ku で挟んで lo citka ku としてやると「食べる人」という意味になります。つまり、x1 に相当する項が引き出されているわけですね。labina にもこれと似た文法があり、これを「焦点化」と呼んでいるようです。例えば、gar-「x1 は x2 を食べる」に語尾がつくと x1 が焦点化を起こし、「x2 を食べる人」となります。
- gar-「x1 が x2 を食べる」→ gara「x2 を食べる人」
焦点化されていない項は前置詞によって表され、焦点化されていない項は前置詞として現れなくなります。まあ、「x1 が x2 を食べる」の x1 が焦点化されると、その述詞自体が x1 を表すようになるので、項としては現れなくなるよという感じでしょうかね。
- gara si puri「魚を食べる人」
- *gara sa fuma si puri「猫が魚を食べる人(?)」
注意すべきなのは、labina では文で述詞が使われる際には常に「焦点化」が起こっているという点ですね。言い換えると、「labina の文中では、述詞は全て名詞的に扱われる」ということだと思います。どうしてこのような文法を採用しているのかは不明です。ロジバンと同様に、述語としての動詞的な意味が基本で、述語の項として扱う際のみ名詞的に扱えばもっと簡潔に済むと思うのですが、その意図については文法解説でも説明がありません。
他にロジバンと相違点があるとすれば、それは形態論的な側面ですね。x1 以外を「焦点化」する際、ロジバンでは lo se citke ku「食べられるもの」のように、述語の前に se などを置くという分析的な手段を用います。一方で labina は語幹に接辞を付加して garin-「x1 が食べるもの/x1 に食べられるもの」とするという膠着的な手段を用いています。
- -in-:第2項焦点化接辞
- gar-「x1 が x2 を食べる」→ garina「x1 が食べるもの/x1 に食べられるもの」
- garina sa fuma「猫が食べるもの/猫に食べられるもの/猫の食べ物」
なぜこのような違いが設けられているのかはこれまた不明です。このように接辞を用いた手段を使うと、形態素境界が分かりにくくなるといった弊害が生まれると思うのですが、それを防ぐための対策(例えば語幹と接辞の音節構造を変えるとか)がなされているのかは説明がないので分かりません。私としては、ロジバンのように分析的手段を用いた方が曖昧性を排除できる気がするのですが、どうなんでしょうね。
述詞の並列
ロジバンでは、述語を並べたとき、左の述語が右隣の述語を修飾していると解釈されます。ですが、labina ではそれとは違い、並べた述語が全て論理積になっていると解釈するようです。例えば、以下の通りです。
- ロジバン:(((xunre citka) blabi) mlatu)「(((魚を)食べる)白い)猫)」
- labina:gara si puri nela fuma「魚を食べるもの、かつ白いもの、かつ猫であるもの」
これにより、labina では gara si puri「魚を食べるもの」nela「白いもの」fuma「猫」をどの順番で置いても良いことになります。これは labina の利点であるように感じられます。また、「魚を食べる」のような関係節に当たる表現も論理積によって表せてしまう点はかなり文法の簡潔性に貢献している感じがします。
一方で疑問に思ったのは、「本当に論理積だけで全ての修飾関係を表せるのか?」という点です。文法解説によると、例えば dicina lena「その本」という表現も dicina「本」と lena「それ」の並列で表しています。ですが、「その本」は本当に「それ」と「本」の論理積であると言えるのでしょうか? また、数詞については文法解説に記載がありませんでしたが、数も「3冊であるもの、かつ本であるもの」のように論理積で表すのでしょうか。
そもそも、「白い猫」という表現でさえ、論理積で正確に表せているのかは怪しいですよね。例えば「白い猫」というのはもしかしたら「首輪が白い猫」なのかもしれませんし、「飼い主の服の色が白い猫」なのかもしれません。これらは「白いもの」の集合の一つとして捉えることができるのでしょうか? それとも、labina の「白いもの」は「白色に何らかの形で関連している何か」のようなかなり大雑把な意味を持つのでしょうか? ここら辺の真意は分かりませんが、もう一度深く検討してみる必要性を感じました。
階層語尾
これは labina の文法の中でもかなり際立った特徴であるように思いました。読者の皆さんはすでにお気づきかもしれませんが、gara si puri「x2を食べるもの」という表現では、puri の語尾が gara とは違って -i に交替しています。これが labina の「階層語尾」というもので、前置詞句がどの述詞を修飾しているか示す働きを持っているようです。
具体的に説明すると、ある前置詞句が述詞を修飾する際、その前置詞句に含まれる述詞は「階層が一つ下がっている」と見なされ、語尾が a→i→o→e→u… の順に一つ交替します。これにより、以下のような文の意味を区別できるというわけですね。
- ① fuma gara si puri nela「白い魚を食べる猫(白いのは猫)」
- ② fuma gara si puri neli「白い魚を食べる猫(白いのは魚)」
①では nela「白いもの」が fuma「猫」や gara「食べるもの」と同じ第1階層
-a の語尾を取っているので、白いのは猫だと分かります。一方で、②では neli が puri「魚」と同じ第2階層 -i の語尾を取っているので、白いのは魚だと分かります。このように、語順を変えることなく修飾関係を明示できる点はかなり優れているように思いますね。
しかし、階層語尾には欠点もあります。階層語尾は、u 以降は aqa→aqi→aqo→aqe… のように半母音を挟みながらどんどん長くなっていくので、文の階層が下がるほど語形が長くなってしまうのです。まあこれについては、そこまで長大な文を作らなければ問題にはならないとは思います。
もう一つ気になるのは、いくら階層語尾によって修飾関係を明示しているとはいえ、実際の口頭での会話において、どの単語がどの語尾をとるべきかいちいち考えながら発話することはできるのか、聞き手も完全に語尾を記憶して修飾関係を判断することはできるのかという点です。つまり、人間の記憶力や認知能力が階層語尾の屈折の処理に耐えられるのか、ということですね。こればかりは、実際に発話で用いてみないと分からないことではあります。まあこれについても、個人言語として書記のみに用いていれば問題ないと思います
総じて、階層語尾は labina の方針である「曖昧性の排除」に大きく貢献している文法事項であると言えるでしょう。
コピュラ
「焦点化」の項目で、「述詞は文中では全て名詞的に扱われる」と書きました。この特徴のため、labina は文に必ずコピュラを必要とするようです。平叙文ではコピュラ li を用います。この語形、なんだかトキポナのそれを彷彿とさせますね。
- fuma li gara si puri.「猫は魚を食べるものである(つまり、猫は魚を食べる)」
否定や疑問・命令の際は、それぞれ別のコピュラを用います。
- fuma mo gara si puri.「猫は魚を食べない」
- fuma ku gara si puri?「猫は魚を食べるか?」
- fuma do gara si puri!「猫は魚を食べろ!」
単に述詞を並べると論理積と見なされてしまう以上、コピュラが必須なのは仕方がない気もしますが、やはり毎回文に li が登場するのは冗長な感じもします。トキポナとは違い、一定の条件下では省略できるという規則もないようですし。述詞語尾の第1階層のみ主部と述部それぞれの屈折形を用いるなど、コピュラ以外の方法で主部と述部を明示できればもっと簡潔になるのではないかと思います。そもそも、「述詞を文中で全て名詞として扱う」のをやめて、ロジバンの文法のようにすればもっと規則を簡略化できる気もするのですが、どうでしょうか。
語彙
最後に、labina の辞書にも目を通してみました。しかしまだ語彙数が少ないようで、登録されているのはほとんどが機能語といった感じでしたね。しかし、数少ない内容語に注目してみると、気になることがありました。それは「意味の切り分けがやけに細かい」という点です。例えば、使役を表す単語ですと、beg-「無理矢理~させる」lug-「~せざるをえない状況に追い込む」tag-「指示して~させる」などの細かい類義語の区別があります。可能を表す単語も、doz-「能力的に~できる」viz-「知識や技術により~できる」zez-「環境的に~できる」などに細かく分けられています。
このような特徴は、labina の方針である「簡潔性」や、ふぃるきしゃさんのツイートにもあった「最小限」という目標に反しているように思えます。もしかすると、「曖昧性の排除」という方針を語義にも反映させた結果、このような細かい区別を採用することになったのでしょうか。真意は分かりませんが、私から言えることは、「最小限であること」と「曖昧性を排除していること」を両立させるのは非常に困難だということです。これらはどちらかが立てばどちらかが立たない、トレードオフの関係にあります。両立しようとするならば、どちらも損なわれないぎりぎりの水準を模索し続けることになるでしょう。
総評
以上のように、labina の音韻や文法で特徴的な点を概観していきました。ここで総評に入りましょう。
総じて、ロジバンの文法に大きく影響を受けた言語だという印象を受けましたね。一方で、述詞の並列や階層語尾、コピュラなど、labina の制作方針を実現するため、独自の文法も多く取り入れている点が工夫されていると感じました。ただ、簡略性を目指している割には余計な文法や語彙が多いという感じもしましたね。
ということで、私からの評定は……ジャカジャカジャカジャカ……デン!! 70点です! やはり、「規則性」「簡略性」「論理性」を両立させるという方針自体がかなり困難なものだと思います。また、それに加えて既存の言語との差別化点をつけるためか、非効率に見える文法を採用してしまっている点が一貫性のなさの原因だと思います。どれか一つの方針に搾るか、いっそプライドを捨ててもっとロジバンに寄せてしまってもいいのでは?という感じもします。
ともあれ、目標に向かって階層語尾などの工夫を凝らしている点は十分評価に値すると思います。ふぃるきしゃさんにはこれからも言語制作に邁進してもらい、いつか本当に「規則的」で「簡略」で「論理的」な言語を実現してもらいたいですね。
今回のレビューはここまでになります。……なんていうか、何様だよって感じの評価になっちゃったかもしれません。お気を悪くしてしまったらごめんなさい!! 私ももっと様々な言語を勉強して、よりよい批評ができるよう努めたいと思います。
それではまた次の記事でお会いしましょう。ばいばーい!!
…………
はッ!! 良かった、記憶が正常に戻ったみたいですね。はあ、重たいヘッドギアを被ってたから首が痛くなっちゃいましたよ。どれどれ、私の評価は70点ですか。まあ思ったよりは甘めに付けてくれたかなという感じがしますが、耳が痛くなるようなこともたくさん書かれてますね。もっともっと頑張らないと……。
さて、今回は自分で自言語の批評をしてみたわけですが、まあ結局は自分自身の評価ですからね。完全に公平に評価できているかというとそうではないと思います。とはいえ、こうやって客観的な視点で自言語を捉えてみるというのは、自言語の改善点を知る良い機会になったんじゃないでしょうか。皆さんも制作に行き詰まったら、こうやって自分で自言語をレビューしてみるのもいいかもしれませんよ?
それにしても、「記憶・認知ぶっこわし装置」の性能がここまでとは予想外でしたね。悪用したら大変なことになっちゃうんじゃないですか? 開発した人は何者なんだろう。……おっと、こんな時間に誰か来たみたいですね。え、何ですかあなたたちは? な、何財団だって? うわなにをするやめくぁwせdrftgyふじこlp
(おわり)
Top comments (6)
面白みのある文法解説を心から希求しておりましたので、ユーモアたっぷりですごく面白かったです(笑)
論理積で表すっていうのは私の言語に少し似通ってる感じがして興味深いですね……
ありがとうございます!確かに論理積使うのは同格言語みがあるかもしれませんね
ミームになってしまった
この記事書けたのはスライムさんのおかげです!ありがとうございます!!
形式がよくわからんすぎて嬉しくなりました(?)
ありがとうございます!自分でも書いててよく分かんなかったです()