こんにちは! ふぃるきしゃです。先日、「崩懐レコード」というオリジナル曲を YouTube とニコニコに投稿しました。
崩懐レコード
歌 足立レイ&唄音ウタ
他 ふぃるきしゃ
これまで私は人工言語 (ニョンペルミュ) 歌詞の楽曲ばかり公開してきましたが、今回は普通に日本語歌詞です。なのでここでニョンペルミュに翻訳することによって Migdal で宣伝する口実にしていきたいと思います!
音節数を合わせるため、元の歌詞にない内容を足して補っている部分があります。というのも、(造語雨など翻訳したことがある人は分かるかと思いますが) ニョンペルミュは他言語よりも1単語あたりの音節数が少なく、文が短くなりがちなんですよね。とはいえ、今回の翻訳はあくまで私個人の歌詞の解釈に過ぎません。もし他にこの楽曲を翻訳したいという方がいたら、私の翻訳を正解と思わずに、ぜひ自由な解釈で翻訳してみてください。
kjanmjefallunmju / 崩懐レコード
歌詞
tjel lun mjul tjapjas,
(世界は灰だけを残し)
sjas kjufe mjelljas,
(生命が証拠を失い)
kometjen has sul ku kelnas
(懐かしい街が平らになっていく)
la setel paspe tjon kju te lul pelmju
(あの時初めてもらった言葉さえも)
hasanas ku hennjusnas
(段々曖昧になっていく)
hjun te taskjumju
(落とした記憶)
likal mi kjankjul
(景色の断片)
la fen njustjen sjetin sas sja lja
(また全部集めて持っていたい)
lus, la menunnas me so tasfe
(だから私はずっと忘れないよ)
fi setis pa kjonkjul kenle nute pelkal
(あなたがあの日砂に刻んだ文字を)
la su hjesjenas sjollukjalan
(私は空っぽの喫茶店で)
ljatelnas sun sjeskunas multos
(いつも通りボロボロの椅子に座っている)
silsjes sjami hjustil
(ヒビの入った窓が)
kalsjenku kjolkjan te ljestjeltustun
(へし折れた軌道エレベータを映している)
kisto fe til te follin mi pan na
(ドアから外れそうなベルの音は)
fi kjolkesti kjo sas he te nenkal
(あなたが手を振りながら入ってきた合図)
la fopa fi mi nos tolkjo
(あなたの古いマニピュレータに気付く)
lafi tjol sjun pju sen kotustu
(早く新しい代用品を探さなきゃね)
tul ljentustunsju kalkon sjasfin sjekjos
(傾いた電柱の群れは枯れた森に似ている)
lafi lo ljusjus selan sas sa ljestjelnaltol mi njosmus
(その場所を散歩して、宇宙船のお墓に行こう)
kisto tjaku tite kallunmju pa lafi lile nitjun mi mjunmis
(燃えかけた写真が誰かの笑顔を私たちに見せている)
setjun njanna pel "la so lun te lja ljastjusnas na ke" te
(「私が残せたのは結局これだけだ」って言っているかのようだ)
tjel lun mjul tjapjas,
(世界は灰だけを残し)
sjas kjufe mjelljas,
(生命が証拠を失い)
kometjen has sul ku kelnas
(懐かしい街が平らになっていく)
la kju mjustjen palsisjes telte fussu
(愛おしい擦り傷ができたのは)
notjun sjemi taskjumju?
(誰との思い出の中でだろう?)
pju tasfe te sos
(忘れた名前を探し)
sas hjemu mefos
(彷徨っても)
la ljo njustjen sjetin sas sja hje
(何もまた集めて持っていることはできないだろう)
lus, la masmel kjoti fi mi kjo
(だからあなたの手を強く握ったよ)
musas hjulife kjufe njustjen sjan tu
(これ以上多くのものを失わないように)
lafi mi tje hjannun tjehjun mjalsal
(私たちの足は月の海を踏むことなく終わってしまった)
lafi netel pisu mjalfas
(今は月明かりの下で)
sul tjehjun silsjeskunas tjusnin
(私たちはひび割れたアスファルトを踏んでいる)
fi me tjol ljasfe se sjeshile nis
(あなたはそれが原因で自分を罰する必要はない)
hjetjun tjol ljasfe se sjeshile nis
(誰もそれが原因で自分を罰する必要はない)
la mjel se
(私はそう信じるよ)
la fen mjel
(信じたいよ)
tjel lun mjul tjapjas,
(世界は灰だけを残し)
sjas kjufe mjelljas,
(生命が証拠を失い)
kometjen has sul ku kelnas
(懐かしい街が平らになっていく)
fi tultintjen posu la te lul njanmju
(あなたが確かに私の隣にいるという感覚さえも)
hasanas ku hennjusnas
(段々曖昧になっていく)
pa son kjanku tel
(身体が崩れる時まで)
pa fo hjuskjan tel
(心が風化する時まで)
la pen kjoti fi mi kjo musas me fe fi
(あなたの手を握って離れないよ)
lus, la hjefos tasfe
(だから私は絶対に忘れないよ)
la sje fi pa kjonkjul postin nute pelkal
(あなたと砂に隠した文字を)
lafi kunti te ljus pa nunhen me pa fenas hal
(私たちが育てた夢は最後まで遠い空に届かなくて)
sas hasu mjo hjeku, me ti?
(土の上で消えていくんだね)
la fushesti se
(私はそれを受け入れるよ)
lafi ljo nitel nilfa me so lju
(私たちはいつかは最早歩けなくなるだろう)
sas konnas nilfa me so lal lus
(最早歌うこともできなくなるだろうから)
lafi lo ku kjansju mi pas
(瓦礫の一つになろう)
fi lo pa setel sje la
(その時まで私と一緒にいてね)
ここから解説パート
崩懐レコード
kjanmjefallunmju
まずはタイトルからですね。原題の「崩懐レコード」は、「崩懐」という造語が含まれています。これは言うまでもなく「崩壊」の「壊」を「懐」に置き換えたものです。というわけで、ニョンペルミュでもこれに相当する単語を新造してしまいましょう。
kjan「壊す」+ mje「思う」で、kjanmje「壊れたり失ったりして元に戻らないものを懐かしむ、そのようなものに思いを馳せる」です。これに fallunmju「記録」を合成して kjanmjefallunmju としました。うーん……かなり無常観というか、日本人的な概念ですね。まあ私自身そういうのが大好きなので、生まれ育った文化・風土は嘘がつけないということでしょうね。
ちなみに原題の没案としては「崩懐探索」「崩懐探査録」「崩懐探査日記」「崩懐レコーダーズ」などがありましたが、語呂の良さや字面の分かりやすさを考慮し「崩懐レコード」としました。とにかく「崩懐」というのは入れたかったですね。
灰になって 塵になって 更地になってしまうから
tjel lun mjul tjapjas, sjas kjufe mjelljas, kometjen has sul ku kelnas
世界-残す-だけ-灰, 生命-失う-証拠, 懐かしい-街-している-なる-平ら
(世界は灰だけを残し、生命が証拠を失い、懐かしい街が平らになっていく)
出だしからニョンペルミュ歌詞の内容の過密ぶりがよく分かりますね……。直訳だと全然音節数が少ないので仕方がありません。とりあえず tjapjas「灰」と mjelljas「証拠」と kelnas「平ら」で韻を踏んでいます。おかげで sjas kjufe mjelljas「生命が証拠を失い」の部分が分かりにくいですが、これは「生命が存在した証拠が失われる」という意味です。韻踏む必要がなかったら sjas kjufe lunkal「生命が痕跡を失い」とかにしてたと思う。
このフレーズはサビの度に繰り返されるので、以降の解説では省略します。
初めて貰った言葉さえ 消えてしまうから
la setel paspe tjon kju te lul pelmju hasanas ku hennjusnas
私-あの時-最初の-回-得る-(関係詞)-さえ-言葉-段々-なる-曖昧な
(あの時初めてもらった言葉さえも段々曖昧になっていく)
ここは比較的そのままの内容ですね。ニョンペルミュで「初めて」は paspe tjon「最初の回」と表します。「さえ」は日本語だと助詞ですが、ニョンペルミュの lul は形容詞です。
初めて貰った言葉……一体どんな言葉だったんでしょうね。私は全く何も考えてません。皆さん好きなように想像してみてください。
落としたって 散らばったって また拾い集めるから
hjun te taskjumju, likal mi kjankjul, la fen njustjen sjetin sas sja lja
落ちる-(関係詞)-記憶, 景色-の-断片, 私-したい-また-集める-(並列)-持っている-全て
(落ちた記憶、景色の断片、また全部集めて持っていたい)
原文では何を落としたのか曖昧ですが、翻訳では「記憶」としました。「散らばったって」は kjankjul「断片/破片」という名詞で表現。
私はずっと覚えてるよ あなたが砂に刻んだ文字を
lus, la pen menunnas me tasfe fi setis pa kjonkjul kenle nute pelkal
だから, 私-するだろう-ずっと-(否定)-忘れる-あなた-あの日-に-砂-刻む-(関係詞)-文字
(だから私はずっと忘れないよ、あなたがあの日砂に刻んだ文字を)
原文ではサビの部分で「~から」という表現が繰り返されていますが、翻訳では lus「だから」の一言にまとめてしまっています。
ちなみに「あなたが砂に刻んだ文字」に関しても、具体的に何を刻んだのかは全く考えてないです。
いつもの喫茶店は 今日も無人のがらんどうで
la su hjesjenas sjollukjalan ljatelnas sun sjeskunas multos
私-で-空っぽの-喫茶店-いつも通り-座る-ボロボロの-椅子
(私は空っぽの喫茶店でいつも通りボロボロの椅子に座っている)
原文にはない sun sjeskunas multos「ボロボロの椅子に座る」という内容を追加しています。hjesjenas「空っぽの」の一言だけだと、喫茶店が繁盛してないのではなく、そのそも荒廃してもぬけの殻になっているというのが分かりづらいですからね。
窓の向こうには へし折れた軌道エレベータ
silsjes sjami hjustil kalsjenku kjolkjan te ljestjeltustun
ヒビ-のある-窓-映す-へし折れる-(関係詞)-軌道エレベータ
(ヒビの入った窓がへし折れた軌道エレベータを映している)
「窓が軌道エレベータを映す」という無生物主語的な表現になっていますね。ニョンペルミュはどちらかというと有生物主語を好みますが、詩歌では別にこういう表現があっても良い気がします。
ぐらついたベルが鳴って あなたが手を振った
kisto fe til te follin mi pan na fi kjolkesti kjo sas fushe te nenkal
しそうである-外れる-ドア-(関係詞)-ベル-の-音-である-あなた-振る-手-(並列)-入る-(関係詞)-合図
(ドアから外れそうなベルの音はあなたが手を振りながら入ってきた合図)
音節数の関係でまどろっこしい表現になっていますね……。「ぐらついたベル」は「ドアから外れかかっているベル」と訳しましたが、他の解釈もできそうな気がします。
もう替え時だね 壊れかけのマニピュレータ
la fopa fi mi nos tolkjo
私-気づく-あなた-の-古い-マニピュレータ
(あなたの古いマニピュレータに気付く)lafi tjol sjun pju sen kotustu
私たち-必要だ-早く-探す-新しい-代用品
(早く新しい代用品を探さなきゃね)
原文では「軌道エレベータ」と「マニピュレータ」でかなりヘタクソな韻を踏んでいるので、翻訳でも ljestjeltustun「軌道エレベータ」に合わせて kotustu「代用品」を持ってきています。尾子音なくても母音が合ってれば韻踏んでる判定でいいよね……?
lafi「私たち」は一人称複数包含、つまりは聞き手を含んだ「私たち」です。ニョンペルミュでは lafi と lasju (一人称複数除外) を区別します。この翻訳では lafi しか出てきません。基本「私」と「あなた」以外の人物がいないですからね。
ちなみに、歌詞の内容から察せられる通りマニピュレータというのは「あなた」の腕のことです。ボーカルが足立とデフォ子なのでね。恐らく荒廃した世界で、劣化するボディを継ぎ接ぎしながら生き永らえているのではないでしょうか。まあ、サイボーグ化した人間とか、もしくは背中にロボットアームを背負った人間であると解釈するのもアリだと思います。
傾いた電柱の森抜けて 宇宙船のお墓までお散歩しようか
tul ljentustunsju kalkon sjasfin sjekjos
傾いた-電柱-似ている-衰弱した-森
(傾いた電柱の群れは枯れた森に似ている)lafi lo ljusjus selan sas sa ljestjelnaltol mi njosmus
私たち-しろ-散歩する-その場所-(並列)-行く-宇宙船-の-墓
(その場所を散歩して、宇宙船のお墓に行こう)
sjasfin は「弱った/衰弱した」という意味で、sjasfin sjekjos というのはつまり「枯れた森/荒廃した森」みたいな感じです。lafi lo「(聞き手を含む) 私たちは~しろ」は「~しよう」という勧誘表現です。ニョンペルミュでは頻出の表現ですね。
「宇宙船のお墓」というのが何なのか私にもよく分かりませんが、足立とデフォ子が自分たちと同じく機械である宇宙船に親しみを感じてこのような呼び方をしてるんじゃないかな~……と想像してみたり。
煤けた記念写真で誰かが微笑んでいる
kisto tjaku tite kallunmju pa lafi lile nitjun mi mjunmis
しそうである-燃える-(関係詞)-写真-に-私たち-見せる-誰か-の-笑顔
(燃えかけた写真が誰かの笑顔を私たちに見せている)
軌道エレベータのところに続いて、また無生物主語っぽい表現ですね。「煤けた」は kisto tjaku tite「燃えかけた」と意訳しています。
これが結末だって笑うみたいに
setjun njanna pel "la so lun te lja ljastjusnas na ke" te
その人-感じられる-言う-私-できる-残す-(関係詞)-全て-結局-である-これ-(補文標識)
(「私が残せたのは結局これだけだ」って言っているかのようだ)
原文では写真の中の人物が「これが世界の結末だ」と世界全体の話をしているように感じられますが、翻訳では「私が残せたのは結局これだけ」と個人的な話をしているように感じられますね。どっちが良いんでしょうかね……。
愛おしい擦り傷をくれたのは 一体誰だっけ?
la kju mjustjen palsisjes telte fussu notjun sjemi taskjumju?
私-得る-愛おしい-擦り傷-(関係詞)-中にある-誰-と一緒にいる-思い出
(愛おしい擦り傷ができたのは 誰との思い出の中でだろう?)
繰り返しのフレーズは飛ばして次です。mjustjen は本来「かわいい」という意味のつもりでしたが、語形成が mjus「愛する」+ tjen「可能な」なので「愛おしい」も表せるでしょう多分。
telte は英語の when に相当する関係詞です。la kju mjustjen palsisjes telte で「私が愛おしい擦り傷を得た時間」。文全体を直訳すると「私が愛おしい擦り傷を得た時間は、誰との思い出の中にあるだろう」となります。
原文ではちょっと分かりづらいですが、「愛おしい擦り傷」というのは「大切な誰かとの思い出の中でできた傷」という意味で作詞したつもりです。なので翻訳にもそれを反映させました。例えば誰かと一緒に散歩していて、一緒に転んでできた傷とかそういうのです。まあ、主人公がかつて誰かに暴力を受けていて、でも今となってはそれも許せるから愛おしい傷だよ、とかそういう解釈も可能だと思います。
探したってさまよったって もう戻りはしないから
pju tasfe te sos sas hjemu mefos, la ljo njustjen sjetin sas sja hje
探す-忘れる-(関係詞)-名前-(並列)-彷徨う-だとしても, 私-だろう-再び-集める-(並列)-持っている-ゼロ
(忘れた名前を探し 彷徨っても 何もまた集めて持っていることはできないだろう)
翻訳では最初のサビの hjun te taskjumju, likal mi kjankjul, la fen njustjen sjetin sas sja lja「落ちた記憶、景色の断片、また全部集めて持っていたい」を変形させた文になっています。hje「ゼロ/無」は英語の nothing に相当する用法が可能で、「無を集めて持っていることができる」→「何も集めて持っていることはできない」となります。
tasfe te sos「忘れた名前」が何なのかはよく分かりません。韻踏むために入れただけだし。
あなたの手を握りしめたよ これ以上失くさないように
lus, la masmel kjoti fi mi kjo musas hjulife kjufe njustjen sjan tu
だから, 私-強く-握る-あなた-の-手-することによって-避ける-失う-さらに-多い-もの
(だからあなたの手を強く握ったよ これ以上多くのものを失わないように)
musas は主語が同じ場合に手段と目的を並列します。つまり直訳では「あなたの手を強く握ることによって、これ以上多くのものを失わないようにする」となります。
月の海の代わりに踏みしめたのは ひび割れたアスファルト
lafi mi tje hjannun tjehjun mjalsal
私たち-の-足-せずに終わる-踏む-月の海
(私たちの足は月の海を踏むことなく終わってしまった)lafi netel pisu mjalfas sul tjehjun silsjeskunas tjusnin
私たち-今-下で-月光-している-踏む-ひび割れた-アスファルト
(今は月明かりの下で 私たちはひび割れたアスファルトを踏んでいる)
原文をニョンペルミュに直訳して kotusle「代わりにする」とかいった動詞を使うとかなり文が複雑化するので、翻訳では2つの文を並べて対比させるだけにしています。
本来月の海を踏むはずだった……ということは、2人は元々は月面探査や宇宙開発用のロボットだったのかもしれませんね。
あなたのせいじゃないよ 誰のせいでもないよ
fi me tjol ljasfe se sjeshile nis
あなた-(否定)-必要だ-原因で-それ-罰する-自分
(あなたはそれが原因で自分を罰する必要はない)hjetjun tjol ljasfe se sjeshile nis
ゼロ人-(否定)-必要だ-原因で-それ-罰する-自分
(誰もそれが原因で自分を罰する必要はない)
音節数合わせのためにこれまたクッソまどろっこしい表現になってますね。まあ直訳すると se me ljasfe fi「それはあなたが原因ではない」の5音節になっちゃうからしょうがないね。
きっと きっとね
la mjel se
私-信じる-それ
(私はそう信じるよ)la fen mjel
私-したい-信じる
(信じたいよ)
原文では段々語気が弱くなっているような印象を受けるので、それを翻訳にも反映させたつもりです。
あなたの手触りも段々と 霞んでしまうから
fi tultintjen posu la te lul njanmju hasanas ku hennjusnas
あなた-確かに-隣に-私-(補文標識)-さえ-感覚-段々-なる-曖昧な
(あなたが確かに私の隣にいるという感覚さえも段々曖昧になっていく)
最初のサビの la setel paspe tjon kju te lul pelmju hasanas ku hennjusnas「あの時初めてもらった言葉さえも段々曖昧になっていく」の変形ですね。tultintjen は「しっかりと/頼もしく」の意味ですが、「確かに」の意味でも使えるでしょう多分。
崩れたって風化したって 握りしめて離さないから
pa son kjanku tel, pa fo hjuskjan tel, la pen kjoti fi mi kjo musas me fe fi
まで-身体-崩れる-時, まで-心-風化する-時, 私-するだろう-握る-あなた-の-手-することによって-(否定)-離れる-あなた
(身体が崩れる時まで 心が風化する時まで あなたの手を握って離れないよ)
「崩れたって」と「風化したって」の主語をそれぞれ son「身体」fo「心」として補っています。また musas によって手段と目的が並列されています。「あなたの手を握ることによって、あなたから離れない」という意味ですね。
いつまでも覚えてるよ あなたと砂に沈めた文字を
lus, la hjefos tasfe la sje fi pa kjonkjul postin nute pelkal
だから, 私-絶対にしない-忘れる-私-一緒に-あなた-に-砂-隠す-(関係詞)-文字
(だから私は絶対に忘れないよ あなたと砂に隠した文字を)
hjefos「絶対に~しない」は否定副詞 me「~ない」の代わりに使用できる、語気強めバージョンです。原文では「砂に沈めた文字」ですが、翻訳では pa kjonkjul postin nute pelkal「砂に隠した文字」としました。原文もそれで良かったかもしれないですね……。
この部分は言うまでもなく、最初のサビの「あなたが砂に刻んだ文字を」との対比ですが、個人的に結構気に入っている表現です。結局刻んだ文字は何だったのか分からずじまいですが、2人だけが分かっていればそれで良いんだと思います。
空へと延びた夢は ついぞ届かないままだね
lafi kunti te ljus pa nunhen me pa fenas hal sas hasu mjo hjeku, me ti?
私たち-育てる-(関係詞)-夢-まで-終わり-(否定)-届く-遠い-空-(並列)-上で-土-消える, (否定)-する
(私たちが育てた夢は最後まで遠い空に届かなくて 土の上で消えていくんだね)
音節数合わせのため、hasu mjo hjeku「土の上で消える」という内容を補っています。~, me ti? は付加疑問文で、英語の ~, don't you? に相当する表現です。ニョンペルミュって英語からパクった文法多いな……。
それでいいよ
la fushesti se
私-受け入れる-それ
(私はそれを受け入れるよ)
この訳で良いのかは自信ないです。原文の「それでいい」よりも主観的な判断になってしまっている気がするのですが……他に上手い訳が見つからないですね。
いつか歩けなくなって 歌えもしなくなって
lafi ljo nitel nilfa me so lju sas konnas nilfa me so lal lus
私たち-だろう-いつか-最早-(否定)-できる-歩く-(並列)-同様に-最早-(否定)-できる-歌う-だから
(私たちはいつかは最早歩けなくなるだろう 最早歌うこともできなくなるだろうから)
konnas 「同様に」は日本語の助詞の「~も」みたいな感覚で使えます。
埋もれていようね ずっとふたりで
lafi lo ku kjansju mi pas
私たち-しろ-なる-瓦礫-の-一つ
(瓦礫の一つになろう)fi lo pa setel sje la
あなた-しろ-まで-その時-一緒にいる-私
(その時まで私と一緒にいてね)
この訳もあまり自信がないというか、あまり納得はできてないです。原文では勧誘表現なので2人が同じ気持ちでいる感じがしますが、翻訳の fi lo pa setel sje la「その時まで私と一緒にいてね」は命令文であるため、相手に対するただの願望で留まってしまっている感じがします。音節数の制約もあるので仕方がないですが、もっと上手い訳が思いついたら直したいですね。
余談
今回は、とにかく足立とデフォ子をボーカルにした曲が作りたかったという感じですね。曲自体は結構前から構想はあったのですが、先日のボカコレに皆さん参加してらしたのを見て触発されて仕上げたというのが経緯です。前からやる気出してればボカコレ出れたんじゃ……。まあポストアポカリプスというのはありがちなモチーフではありますが、私がそのテーマで出力するとこうなります、というのが今回の作品です。
内容を見ると前作の「ljespeltol / 星電話」と結構被っている部分がありますね。宇宙だの世界崩壊だの規模の大きい話をしているが、結局は2人の人物の個人的な関係に帰結するというものです。セカイ系に似ている部分もありますが、別に2人が世界の命運を左右するような話ではなくて、世界はクソでどうにもならないが、あなたがいれば少し救いになるかもしれない、みたいな感じ。どうやら私はそういうテーマが好きみたいです。まあ現実には私にそんな相手はいないですけどね。
実は似たテーマでさらにもう1曲構想があります。ていうか歌詞もほとんど完成してるのですが……流石に題材が被り過ぎなので、出すのは当分先になると思います。
過去作
- pelkjultohallu / 造語雨 (YouTube・翻訳まとめ・個人サイトページ)
- MESULAN / 非存在街 (YouTube・紹介記事・翻訳まとめ・個人サイトページ)
- ljespeltol / 星電話 (YouTube・紹介記事・個人サイトページ
というわけで、私の今年3曲目の楽曲でした。年間で6曲出すはずがまだ半分だし、もう9月なんだが!? い、一体どうなってしまうんだ……。
ではでは~!
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