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コキあ
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誤った語法を「比喩」で片付ける。

私はリンゴを飲む。

この文を読んだときあなたはどんな感情を抱きましたか?


こんにちは。コキあです。

意味不明な前置きはさておき、本題に入りましょう。


キャア語には、似た意味だが微妙にニュアンスが違う単語というのが数多く存在します。

例えば、「エンデ」「エヅム」「エンダルナツ」は全て「花」という意味ですが、「エンデ」は茎や葉も含めた「花」、「エヅム」は花びらの部分だけの「花」、「エンダルナツ」は木に咲く花です。(詳しくはこの記事をご覧ください。)

ですが、このようなニュアンスの違いを暗記し、いちいち使い分けるのは面倒で困難でしょう。

そのため、次のようなことを考えました。

「似たようなニュアンスの語彙だったら、誤った語法を「比喩」で片付けることができるのでは?」


例を挙げましょう。

「食べる」と「飲む」のニュアンスの違いは、ざっくりいうと口にするものが「固体」か「液体」かの違いです。(もちろん、違うふうに分けることもできますが。)

前置きで挙げた文を見てください。

私はリンゴを飲む。

「リンゴ」は固体です。なので「食べる」を使うのが適切でしょう。

ですが、この文では「飲む」を用いています。「食べる」と「飲む」の使い分けを間違っているといえます。

ですが、今回はこのような語法の誤りを、「比喩」として片付けてしまいます。

例えば、リンゴジュースのキャッチコピーとしてこの文が使われていたらどうでしょう。

ジュースは液体なので「飲む」を使います。「私はリンゴジュースを飲む」なら正しい文です。

ここで、このリンゴジュースがまるで本物のリンゴのようだ、というような意味を込めて「私はリンゴを飲む」としているなら、比喩を用いた文として正しいように見えるのではないでしょうか。


このように、誤った語法でも、ニュアンスが近ければ比喩表現を用いた文として正しい文にすることができます。

キャア語のように微妙にニュアンスが違うだけの語彙が多い言語では、このような比喩を許す(もしくは頻繁にこのような表現を用いる)ことで暗記する手間を削減しつつ、より芸術的な表現が可能になるのではと思いました。

また、これにより単語の意味範囲を明確にする意味がひとつ増えると思います。単語の意味範囲を定めることで、その単語の使い方が正しい使い方なのか、比喩としての使い方かがわかるからです。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

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