日本からユエスレオネに渡った人間がまず直面するのは文化と社会の違いだろう。
その中の一つが、本屋の扱いである。これはリパラオネ人1にとって、本屋とはどういう存在なのかを紐解くと分かってくる。
ファイクレオネの本屋には、クローメという詩学院に由来するものがある。クローメは中世にスキュリオーティエ叙事詩から詩を学び、王侯貴族のために詩を書く吟遊詩人のための学校として成立した。17世紀、リパラオネ文学の先鋭化によって、クローメはそれぞれ特色を持つようになっていった。その一方でバーリガーデのようなジャンルの統一などを通して共通性も出てきた。
近代革命によって詩学院の権威が失われると、非常に有名で権力を持っていた一部のクローメ以外は本屋や出版社などに変化していくことになる。ルティーセ学院大学のように大学になったクローメも存在するが、殆どは書籍に関わる民間企業に変わっていった。しかし、伝統的なクローメの殆どは自らがクローメであったということに誇りを持っていたため、それぞれの専門性などを継承した。
特にユエスレオネ連邦やヴェフィス共和国の本屋では専門性が高い本屋が多く、日本のように総合書店をやっているところは少ないのである。純文学(flan krantielyr)・大衆文学(alfal krantielyr)2、学術書(akademicen3 krantielyr)、資料集や要覧(acirlan)、古本(venferl)など、それぞれ専門とするジャンルや種類が明確に決まっていることが一般的だ。
このため、日本では「本屋に行くよ」「へえ、何の本を買うんだい」という会話になるところが、ユエスレオネでは「本屋に行くよ」「へえ、何を扱ってるところなんだ?」という会話になることが多い。これはクローメ由来である書店と個人の対応が教養レベルや社会階層、興味や趣味などを如実に表すことが多いからである。個別の対象を共有することよりもその人自身がどのような個人なのかを気にする傾向があるということもこの会話文化の形成に影響しているのかもしれない。
さて、ここまで来てやっと “リパラオネ人に「本屋に行ってくるよ」と言ってはダメ” な理由が分かってくる。リパラオネ人は「本屋」(torparr)だけでは何かはぐらかしているように聞こえるのだ。
彼らの頭の中にある torparr は抽象的な概念であり、具体的には flan torparr, alfal torparr, akademicen torparr…… というクローメの伝統を継承する個別の torparr というものしかない。
このため一番上に引用したツイートでも
"mi tisod tydiesto torparra'lt."
「私は本屋に行こうと思っている」
に対して
"ar? harmue co tydiest faller torparrss?"
「ああ? 多くの本屋の中から(=本屋といえば色々とあるが)どこのに行くんだ?」
と問うているわけである。
実はこれに答えないと面倒な憶測を引き出すことになってしまう。場合によっては「いかがわしい本」を買おうとしているのだと勘ぐられてしまうのだ。
これが “リパラオネ人に「本屋に行ってくるよ」と言ってはダメ” な理由である。リパライン語で話す時はしっかりと「何の本屋」に行くのかを言わなければ、ポルノ雑誌店(phitorparr)に行くのかと思われてしまう。ユエスレオネに行く機会のある方には是非この点を気をつけてもらいたい。
余談だが "phitorparr" は "fi torparr……" 「もし、本屋……」と同音であると見做される場合がある4ため、避ける傾向がある。"fie" が使われたり、"elx" との縮約形 "felx" を使うために助動詞が出てきたりするのは、婉曲表現の一つということが出来るだろう。
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本項における「リパラオネ人」はヴェフィス市民革命以降の単純な定義で言うところの「リパライン語を話す人々」のことである。ユエスレオネ連邦や東諸島共和国連合におけるリパラオネ民族以外の民族の話者も含む。 ↩
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リパラオネ文学におけるバーリガーデ(ジャンル)の一種で「大きな風」(fiurjterl)と呼ばれる大まかなニ分類のことである。「純文学」と「大衆文学」と訳されるが現世のそれとは異なり、17世紀以来続けられている形式主義・創造主義論争というリパラオネ文学における論争に由来する。 ↩
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"akacemic-en"、「アカデミスの」に由来する。語根は現世の "academic" とは関係なく、アイル語の "akata imicu" 「書物の自由化」に由来する。中世初期に現れた思想の一つで貴族が庶民に教育を下すという観点から倫理的であることを求めた。ヴェフィス市民革命以後は単純に「書物や書記言語の自由化・民主化」を示すようになり、「(公)教育」に近い概念を表すようになった。 ↩
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リパライン語においては、〈ph〉は/f/または/p/のどちらかで発音される。 ↩
Top comments (3)
方向性は違うが同じように直接バネアートを配膳してはいけない
直接バネアートを配膳しながら「ちょっと本屋行ってくるわ」といった瞬間、「フェンテショレー!」と叫びながら地の果てまで追いかけられることになる(?)
ウェールフープでなんとかしよう!(意味わかってない)