※注意! この記事は私の考えている様子をほぼそのまま書き起こして、その上で読めるように少し体裁を整えた程度の記事です。わりと読みにくいですし、結局考えていることは今後覆される可能性があるので、ご注意いただければと思います。
前回のおさらい
まずは前回のおさらい(タイトル通り)ですが……。デナスティア語ではcとkが共に/k/を表しているという問題がありました。
さらに、これらは単語ごとにどちらを使うかが決まっており、しかもcはiやeの直前では現れないという選り好みぶり。
ここから、cとkはもともと/kʰ/と/k/という異なる音素を示していて、歴史の波にのまれながら一つの音素に収束した(ただし、一部環境でcが他の音素に変わった)という仮説を立ててみました。
さらに、同様の手順でそり舌音~硬口蓋音にあたる発音で実現される音素(/j/を除く)についても、その音素や綴り字の由来を検討してみました。
そして、この争いを生んだ真の原因は「skatiとtzar(scotia)の対立」だったのです……(たぶん)。
旧都と新都、二つの「王」
デナスティア王国には、都と呼べるような都市がふたつあります。いえ、正確には片方は「昔」都だったのですが……。
デナスティア語では……というか私は旧都を「Peutea:ピュテア」、新都を「Tzarilske:王都」と呼んでいますが、たぶん王都にも名前はあると思いますし、当のピュテアに住んでいる住民の方々からすれば「発音違う。そうじゃない」となりそうなので、それぞれ「旧都(ピュテア語(仮))」と「新都・王都(デナスティア語)」ということにします。
言語作ったり(まずはデナスティア語の充実&祖語作成)、都市に名前つけたりが必要そうです……。
閑話休題。で、王都方言ではtzarが、旧都方言ではskati(仮)が「王」の意味となっています。
※ここ重要
今、デナスティア語でデナスティア王国の正式な名称はDenastia Tzarnuirとされています。はい、見てわかる通り王都方言ですね。
それはいいのですが「なぜ」とは思いませんか? だって、王国自体は旧都に都を置いていた時から存在していて。その時の正式な国名の発音は/denastia sk(ʰ)atʰinitʰu/(仮)とかだった可能性が高いのです(あるいはデナスティア精霊国とかだったかもしれませんが……。ありそう)。
有気音だらけで発音しづらそうですね(こなみかん)……(この有気音が旧都方言の公用語化時点で、すでに全部無声無気音に吸収されていた可能性もありますが)。
それがどうして、王都方言に変わってしまったのか。
自らの伝統を主張するなら、旧都方言をそのまま使った方が良さそうなのに、です。
そこにはやはり、旧都を中心とした面々とたもとを分かちたかったというか。
まあ、政治的な理由しか考えられませんよねこんなもの。
では、その政治的な理由が何か、というのを考えるのは今後の課題なのですが。
そもそも、ラテンアルファベットを別のところから持ってきて使った理由は何だったのでしょうか。これはこれで謎ですよね。
というわけで、今からラテン文字導入の経緯(作中世界で)について解説します。こっちの政治的な経緯はきちんと作ったのです(いぇい)。
デナスティア語が含まれる語族を拡張するために、歴史の流れを軽く(人物とかは基本決めていません)作ってみたのですが。
その過程で「デナスティア王国は、大帝国の一部が独立した国である」という設定ができたのですね。
それで、もとは使っていた大帝国の文字も、この独立時に切り替えたとすれば納得できます。だって、大帝国と縁を切りたいですし。
となると、はじめてラテンアルファベットで書かれたデナスティア語……もとい古ピュテア語(仮)はどのようなものだったか、ということを考える必要が出てきそうです。
だって公用語になった時期があるぐらいですし。
書かれたのは既に言語分化を起こした後の旧都方言だった可能性が高そうです。というのも、新都方言で「scotia」が残っている時点で、旧都でも「sk-sc」の対立があったことになり(現在までに消失済み)。
さらに、借用された新都側でこの語が「sc→cj」の変化を被って「*cjotia」になっていない時点で、これらの言語が既に(少なくとも方言程度には)分化していたと考えるのが妥当だからです。
この形容詞の意味が「王の」となっていないのが奇妙ですが……それはさておき。
新都側で「sc」が摩擦音/ʂ/に変わったのが非常に古くて。「scotia」はそれに次ぐレベルで古い時代に旧都から借用されたのでしょう。なぜなら「sc」という綴りを使っている時点で、旧都で有気音が消える前ということになるので(つまり「①新都で「sc→cj」②旧都→新都「scotia」借用③旧都の有気音が消失」という推測)。
……という時点でかなり言語的な距離が離れていることになってしまいますね。同じ国内なのに(でも日本語の本土と沖縄方面とか、伝統的な方言・言語的差異大きいしありなはず。あるいは中国国内とか)。
ついでに旧都では「王:skati」なので、旧都側の音位転換もかなり古層で(少なくとも有気音が消失する前に)起こった現象と考えた方がよさげですね(でないと王都方言に「scotia」が有気音のcで借用された説明がつかない)。……もし「skati」と「scotia」が同語源なら、ですが(話を振り出しに戻すな)。
①独立する、ラテン文字を導入&旧都方言を公用語化
②遷都する、公用語を新都方言に切り替える。当然文書も新都方言が使用されるように
③現在(旧都方言の綴り字を②以降で改革した可能性もゼロではない)
こうした傍証から考えるに、おそらく二つの言語の分化は①以前には起こっていたのでしょう。旧都方言がどうなっているか(当然現在のものと、公用語化した時の、昔の旧都式の綴り)とか、共通祖語の再構とか、色々必要そうですね。
まあ、この辺りはどうでもいい(よくない)です。
(なぜか歴史的経緯を説明するのに、言語分化の時期を推定し始めていました……)
とにかく、今回大事なのは「何かしらの理由でデナスティア王国では公用語の基準が変わった」ということです。
ついでに言えば、デナスティア語の形容詞は前置修飾なのに、家名はそのままの形で(つまり前置修飾の形のまま)後置修飾しているのですから、何かしらの意味があると思われます。
(この設定は言っていませんでしたが、ヨーロッパ風にしたかったので家名を後ろにしているのです……)
たしかに、後置修飾だと被修飾語が単数か複数かで語形が変わってしまい、家名として使いづらいところはありますが……わざわざ文法を無視して家名を後置修飾にしたのが謎です(でも家名を後置したいのだから理由を考えるしかない)。
この辺りは本当に宿題ですね。はい。
ただ、ここまで長々と書いてきてあれですが。注意点として、前回検討したcとkの対立は、新都(デナスティア語)側の問題でしかない、ということです。
おそらく新都側では、遷都した時点ですらcとkの対立がまだ残っていて。同様にtとr(すでに/ʈ/になっているかもですが)の対立も残っていたと考えるのが妥当です。
(あるいは、発音は旧都同然に有気無気の対立を失っていて、綴り字だけ現地で伝統的なもので書かれていた(それを遷都時にそのまま採用した)可能性もありますが……蓋然性が低い気がするので)
一方で、旧都方言では王がskati(新都のscotiaと同源という説を出したせいでこうなっているのですが……)なので、先に(旧都方言式ラテン文字導入以前に)有気無気の対立がなくなっていたのかもしれません。
あるいは、この綴り字は改革済みで、かつては「scari」と綴られたのかもしれ(以下無限ループ)
とりあえず、遷都以前は言語がバラバラになる程度には統治が雑だったんでしょうね(それを言ったらおしまい。まあ、オイル語とオック語とかあったしナシではないという程度)……。
……ってまた同じようなこと言ってる。
また、cjやtcjといった綴り字についても検討しましたが、新都方言では/x/音がどこかに消えている……というのが確実にいえることです。
旧都についても同様に/x/はどうなってしまったのか……とかも今後の課題です。そもそも旧都方言()作りなさい。祖語再建(というか旧都方言作る前に先に作るの)しなさい。
言語制作、歴史とか他ジャンル含めて考えることが多すぎてパンクしてしまいそうですね。
私の頭の中身をそのまま書いた(しかも今後変更がありうる)まとまりのない記事でお目汚し失礼しました……。
Top comments (2)
参考になるかわかりませんが、中国語の「漢」の字(本来は地名)は理論上「難」か「灘」と同じ発音になるはずであり、現在の「カン」(hàn) という頭子音になるのは当時のその地域の方言ではないかという説があります。
現在では、中古中国語に起源を持つ方言に上書きされたためにその古い層は失われ、この語は固有名詞として定着したので残っているとされています。一応類例と思われる記述が残っているから成り立つ議論ですが……
やはり固有名詞は扱いが難しいですね……