Migdal

Tsuchifude
Tsuchifude

Posted on

【tᵏiⁿ'】自言語のつづりを変な感じにしよう

はじめに

 
 ひさしぶりにMigdalで記事を書きます。というのも、また人工言語制作熱が高まってきたからです。そろそろ卒論を書かなければいけないのですが、そんなものは知ったことではなく、蛍の光を照明にしてネ語(旧称:バエグルエッ語)の制作にいそしみ、まだ設定をあまり考えていないネ人という謎の民族に思いを馳せる日々です。

 この記事のテーマは「自言語のつづりを変な感じにする」ということですが、これは腐敗した干しナマコのような見た目の独自文字をつくろうということではなく、ラテン文字転写を変にするのです。IPA独特の文字を使うのではなく、あくまでラテン文字26文字をもとにして書く方法です。
 しかも、わざと難解にしたり、やたらめったら珍しく難しい音素を追加するのではなく、ある程度合理的な理由で、しかもありふれた音を記していながら変にする必要があります。

 ためしに、ネ語の例文をいくつかあげてみます。どうしてこうなったのか、順を追って紐といてまいりましょう。

Bhéʷʰ zhíʷe Ia'-Néʷh.
「私はネ語を話します。」

Hrà rai wót oón kᵏuén zhíʷe hhòn iiⁿg' wót.
「男は女の手を殴って、(彼の)手を痛めたと言った。」

Ghéʰ-kᵏang'-kᵏang' liûⁿg liûⁿg wót deh dìng-ⁿgrèʷ.
「赤ちゃんは手足を動かしています。」

変なラテン文字書記法紹介

 
 なぜ変にしようと思ったのかというと、かつて宣教師などが文字をもたない言語のために考えたいろいろな表記を見ていく中で、英語には及ばずともなかなか変な要素がたくさんあることに気づき、それを取り入れようと思ったのです。たとえば:
・マダガスカル語では/u/をoと書きます
・台湾語の白話字(複数あるローマ字転写の一)では鼻母音を表すのにaⁿのように右上に小さいnを書きます。/ɔ/はoの右上に小さい点を打ってo͘と書きます
・ジンポー語(シナチベット語族、ミャンマー・中国)では声調は一切表記しないほか、/ɔ/をawと書きます。
・アミ語(オーストロネシア語族、台湾)では^という文字を子音/ʔ/にあてています
・広東語のイェール式表記では、低い声調のときに母音のうしろにhをつけます。士 sìh、站 jaahm、六 luhkのように。
・ベトナム語のつづりはひとことでは書ききれぬくらい大変なことになっており、多くの学習者が卒倒しています。
ほぼ全部大文字で書くアメリカの言語もあるそうです。
xを母音にあてる言語もあるそうです。
 いかがでしょう。これらは黙字だらけ例外だらけの英語には及びませんが、何かしら意味分からんと思える要素があるでしょう。

 しかし、これらの多くはわれわれ現代の学習者に時空を超えたイヤガラセを仕掛けているわけではなく、なにかしらの理由があってやっているものと思われます。転写法の歴史について調べたわけではないのですが、以下に私の憶測をご覧にいれましょう。

表記体系考案者の母語にひっぱられる

 これはベトナム語のクォック・グーとよばれるローマ字正書法に顕著にみられます。たとえば、ベトナム語では/k-/を多くの場合にc-で表記しますが、i,e/ɛ/,ê/e/の前ではk-で書くのです。これは、クォックグーを考えた人がフランス語に慣れていて、フランス語でciとかceとか書くと/s-/になってしまうので、ベトナム語でもs-と読み違えるのを避けたためではないかと思います。

似た音との区別をつけたいが同じ文字を使いたい

 台湾語の鼻母音/ã/をaⁿと書くのは、anというつづりは/an/のためにあるが、鼻母音ということでやはりnの字を使いたいためにそうしたのではないでしょうか。

単母音を一文字で表記したい

 ラテン文字は母音を表す文字がわずか5文字しかなく、半母音を含めても7文字であり、多くの母音を持つ言語を表記するのには困難がともないます。2文字を使って1つの単母音を表記する場合(韓国語のeo/ɔ/、広東語のeu/ø/など)が多いですが、そうはしなかった人もいたのです。
 たとえば台湾語の白話字でo/o/と区別するためにo͘ /ɔ/と書くのは、単母音のくせに二文字で書きたくないからでしょう。
 ベトナム語でも、母音の質の違いを表現するためにơとかưとかâとかêとか書いて、やはり一文字で表記することに努めています。ơやưは多分ベトナム語やその関連言語でしか使わないもので、慣れてくるとこの文字を見るだけでフォーをすする音が聞こえてくる気がするものです。

ダイアクリティカルマークを2つ重ねたくない

 一部で「大悪リティ業悪」と表記されるところのダイアクリティカルマークは、2つ重ねると見にくいです。ベトナム語はええいそんなこと知るかスットコドッコイと言わんばかりに平然とấやềなど書いていますが、たとえば台湾語でo͘ の点が右上にあるのは、ó͘ などのように声調を示すマークと重ならないようにするためではないかと勝手に思っています。

読み違いをなくしたい

 読み間違いはときに身を亡ぼすものです。たとえば、iに声調記号を付けてìと書こうとしても、iの上の丸い点は手書きだとどうしても線状に近くなりますから見分けがつかぬことがありませんか。
 そこで、ベトナム語の手書きではまた面白い方法をとります。iの丸い点を打った後にさらに上に声調記号を重ねるのです。こうすればiとì、íの見分けが簡単にできるのです。これにより、ベトナム語声調記号鑑定士は職を失い、活動弁士や電話交換手などへの転職を余儀なくされたのでありました。

自言語に先人の気持ちを取り入れる

 このように、先人たちの気持ちを勝手に想像していく中で、その想いを私が作っているネ語の転写法(あくまで現実世界でラテン文字表記するためのものであります)に取り入れようと思ったのです。具体的にどんな工夫をしたのか書いていきます。
 「まずネ語の音韻体系を見せろ」という話かもしれませんが、声母・韻母・声調を全部書いていると長すぎますので、見たい方は以下の辞書ページをご覧ください。

ネ語辞書

単母音は1文字+右上付き文字で

 ネ語には/i/, /y/, /e/, /ø/, /a/, /ə/, /u/, /o/, /ɔ/という9つの単母音があり、別の音素として対立しています。これをラテン文字で表すには何かしら工夫せねばなりません。しかし、ここで「単母音はなんとしても1文字+αで」というこだわりが発動します。しかし、IPAの表を眺めていて思いついたのですが、ダイアクリティカルマークではなく、右上付き文字を使うことにしたのです。
具体的には、e/ə/, /e/, /ø/, o/ɔ/, /o/などです。せっかくʲやʷといった文字が簡単に表示できるのですからこれを使わない手はありません。しかし本来ʲとʷは子音につけるものですからこの時点で相当変な気持ちになります。

表記考案者の母語の体系にない文字は使わない

 ラテン文字にyという文字があることは、多くの人が知っています。yという文字の知名度は徳川家茂が具体的に何をした将軍なのかの認知度をはるかに上回ります。
 しかし、/y/にy、/ʃ/にshやsyを正直にあてたのでは面白くありません。そこで、「この表記体系を考えたネ語非ネイティブの人間の母語の表記体系には、yにあたる文字はそもそもなかったのだ」ということにしましょう。ネ語のラテン文字表記は、架空世界のアルファベットを忠実に写し取ったものだという設定なのですから。
 すると、/y/や/j/や/ʃ/といった発音はもはや何かしらの形でjを使うしかなくなります。しかし、jに声調記号を付けるのは忍びなかったので、/y/をで表すことにいたしましょう。また、hはあくまで/h/または有気音を表す文字という設定にして、ʃをshと書くのもやめて、sjにしましょう。/j/はそのままjです。
 sjというつづりは、何語か忘れましたがどこかの言語にありそうです。しかしuʲなんてものは自然言語にあるのでしょうか。

nとhで表せそうな発音の別

 ネ語には-nと鼻母音、-hと-ʔという似たような音があります。前者はnで表したいので、台湾語と同じように-nと-ⁿで分けます。後者は、-ʔをqと書けそうなものですが、やはり考案者はqにあたる文字をよく知りませんでした。そこで、/-h/を-ʰ、/-ʔ/を-hと書くことにしたのです。
 しかし、白状しますが、実はこれは順番が逆で、ネ語というのはラテン文字でのつづりにʰを含む言語を作りたいという欲求がもととなって生まれた言語であり、/-h/と/-ʔ/の対立はʰを使いたいがために思いついたものなのです。

声母は2文字までにしたい

 この表記体系の考案者は、なるべく少ないスペースで音節を表記できるようにできないかと考えていました。しかし、ネ語には/kʰʷ-/や/ŋɹ-/といった、どう考えても3文字以上要りそうな声母があります。そこで3文字を超える場合は1文字を右上付き文字にすることを思いついたのです。
 具体的にはkʰw/kʰʷ/, ⁿgw/ŋʷ/, ⁿgr/ŋɹ/としました。しかし、/kʰ/はkh、/ŋ/はngと普通に書きますので、どうにもややこしく、何とかしてもらいたいものです。

二重母音は絶対に2文字で

 さらに考案者は、韻母にも文字数制限を設けようと試みます。まずは、二重母音を何とかしましょう。母音が2個なのですから当然2文字で書けるはずですね。しかも考案者はうまく字を組み合わせれば、上付き文字を使わなくてもコンパクトにすべての二重母音を表せることに気づいてしまいました。そこで、ue/uø/, ui/uy/, eu/øy/, eo/eɯ/のような事態になったのです。

韻母は3文字+αまで

 考案者は、大多数の韻母が3文字で書ける(iam/iam/, uen/uøn/など)ことに気づいたのですが、/iːŋ/(/iŋ/との対立あり), /iaŋ/などは、どうしてもiingやiangと書きたくなってしまいます。しかし、4文字必要と思われる韻母は、すべて-ŋ韻尾を持つので、4文字になりそうなときだけngをⁿgと書けばいいのです。iiⁿg, iaⁿgのように。
 このあたりから、ちょっと、いい加減にしてほしいという気持ちになってきます。

声調の読み間違いを防ぐ

 á、ā、àを手書きで書いてみてください。人によっては、いそいで書くと、āの横棒がどうしても傾いてしまって、áやàに見えてしまう場合があるでしょう。しかし、声調が変わると意味も変わってしまうようなペアもある言語ですから、このような読み間違いは防がねばなりません。そこで、55という声調はāと書きたくなるところを、a'と書くようにすることにしました。
 何を思ったのか、母音の上につける他の声調記号とは違って、-angのように子音韻尾を持っている場合でも、-ang'のように音節の末尾に声調を表す記号を書くことにしましたので、学習者のいらだちは避けられません。

現実世界の常識は通用しない

 たとえば、生まれたての赤ん坊に「軟口蓋放出音を、ラテン文字と記号でどう表記するか?」と聞いてみてください。誰もがみな「k'」と答えるでしょう。ラテン文字を用いて放出音を書くときは「'」を用いて表記すると、この世界ではほぼ決まっているのです。
 しかし、架空世界のアルファベットにそのような常識は通用しません。放出音という聞きなれない音どう表記するか悩んだ考案者は、右上付きのᵏを付するという暴挙に出ました。放出音になにかが強く破裂するような響きがあったために、破裂音のkをあてたものでしょう。それで、pᵏ/p'/、tᵏ/t'/、zᵏ/ts'/、kᵏ/k'/というつづりができてしまったのです。ちょっと冗談ではすまされないですね。
 ᵏなんてものを表示できない環境もあるので、その場合はpkやtkなどと書くも可です。
 ちなみに、これら放出音は今日追加した音素で、イテリメン語の文法書を読んでいて、放出音が音素としてあるのを羨ましく思ってネ語にも取り入れたのですが、発音が難しくなってしまって私も困っているのです。

おわりに

 いかがでしたか。ネ語のラテン文字表記がいかに変かがおわかりいただけたでしょうか。
 タイトルにあるtᵏiⁿ'は/t'ĩ55/を表すもので、意味は「腕」ですが、変なつづりの代表例としてあげたものです。
 私はもともと、タイ文字やチベット文字にみられる、黙字や不規則なつづり、発音と一対一対応しない表記などを愛好していたのですが、ラテン文字には魅力を感じていませんでした。しかし、台湾語の白話字に触れたことをきっかけに、多少意味が分からない要素のあるラテン文字体系も好むようになり、自言語も意味が分からなくしたいと思った次第です。
 私のような嗜好を持っていない限り、直感的に分かりやすい表記を作るようにしましょう。 終わり

Latest comments (0)